『全体主義の時代経験』

著者は、政治思想史家の藤田省三。筆者が読んだのは『藤田省三著作集6』(みすず書房)。

「『安楽』への全体主義――充実を取戻すべく」

「停どまる所を知らないままに、ますます『高度化』する技術の開発を更に促し、そこから産まれる広大な設備体系や完結的装置や最新製品を、その底に隠されている被害を顧みることもなく、進んで受け容れていく生活態度は、一体どのような心の動きから発しているのであろうか。(略)それは、私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了いたいとする絶えざる心の動きである。(略)不快を避ける行動を必要としないで済むように、反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去して了いたいという動機のことを言っているのである。」(pp.29-30)

「不快の源そのものの一斉全面除去(根こぎ)を願う心の動きは、一つ一つ相貌と程度を異にする個別的な苦痛や不愉快に対してその場合その場合に応じてしっかりと対決しようとするのではなくて、逆にその対面の機会そのものを無くして了おうとするものである。」(p.30)

「両者[かつての軍国主義と、高度成長を遂げ終えた今日の私的『安楽』主義]に共通して流れているものは、恐らく、不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互交渉を行なうことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性である。」(p.31)

「今日の社会は、不快の源そのものを追放しようとする結果、不快のない状態としての『安楽』すなわちどこまでも括弧つきの唯々一面的な『安楽』を優先的価値として追求することとなった。それは、不快の対象として生体内で不快と共存している快楽や安らぎとは全く異なった不快の欠如態なのである。」(pp.31-2)

「それ[或る自然な反応の欠如態としての『安楽』]が日常生活の中で四六時中忘れることの出来ない目標となって来ると、心の自足的安らぎは消滅して『安楽』への狂おしい追求と『安楽』喪失への焦立った不安が却って心中を満たすこととなる。こうして能動的な『安楽への隷属』は『焦立つ不安』を分かち難く内に含み持って、今日の特徴的な精神状態を形つくることとなった。『安らぎを失った安楽』という前古未曾有の逆説が此処に出現する。」(pp.32-3)

「全ての不快の素を無差別に一掃して了おうとする現代社会は、(略)『安楽への隷属』を生み、安楽喪失への不安を生み、分断された刹那的享受の無限連鎖を生み、そしてその結果、『喜び』の感情の典型的な部分を喪わせた。そしてその『喜び』が物事成就に至る紆余曲折の克服から生まれる感情である限り、それの消滅は単にそれだけに停どまるものではない。克服の過程が否応なく含む一定の『忍耐』、様々な『工夫』、そして曲折を越えていく『持続』などのいくつもの徳が同時にまとめて喪われているのである。克服の『喜び』が精神生活の中の大切な極として重要視されなければならないのも、それがこうした諸徳性を含み込んだ総合的感情だからこそなのである。だからその『喜び』が消滅することは複合的統合態としての精神の、つまり精神構造の、解体と雲散を指し示している。」(pp.36-7)

「音調にせよ色どりにせよ形態にせよ行動にせよ感情にせよ、この起伏が一つの進行現象の中に脈打っている時、私たちの精神はそれに対応して弾みを獲得し、そこに自力の歩行や昇降力や立体的構成力を、すなわち自己克服の動力を内側に保持することになる。内燃機関保有である。そうして、そのことが全自然の一環として自分を保つ『謙虚さ』の元でもあるのだ。(略)人生の中に自然な起伏のリズムが保たれる時、私たちの精神は、独立内燃機関を持って、自己克服の『喜び』に到達する構成力を持つものになるだけではなくて、自然の一部としての謙虚な自覚と抑制の心を備えることになる。」(pp.37-8)

「典型的な『喜び』の感情が、試練を含んだ一定の道のりを歩み切るとき産まれるものである限り、当然それは起伏の先に横たわっている物への感受性を先ず条件として含んでいる。遠方の目的物を心中に想い浮かべて見ることが出来る時、始めて、山や谷の起伏を進んで乗り切ろうとする意志が生まれるからである。克服への意志は、こうして『山の彼方の』遠方を見る心の視力を知覚上の基盤として発生する。(略)しかし、人生の道筋から山を削り谷を埋める造成が全体的に行きわたる時、起伏の向こうを見る視力は退化し、その状態に慣れる時、視力回復への意欲さえもが萎えしぼんで了う。」(p.39)

「抑制心を失った『安楽』追求のその不安が、手近かな所で安楽を保護してくれそうな者を、利益保護者を探し求めさせる。会社への依存と過剰忠誠、大小の全ゆる有力組織への利己的な帰属心、その系列上での国家への依存感覚、それらが社会全般にわたって強まってきているのは、其処に由来する。この現状の中では、例えば会社への全身的な『忠誠』も、不安に満ちた自己安楽追求の、形を変えた別の現れに他ならないから、そこには他人に対する激しい競争や抑制の無い蹴落としが当り前のこととして含まれている。」(pp.39-40)

「私たちは、その膨大な一連の喪失――『物』の概念を始め、生活の中心に関連する、『安らぎ』・『楽しみ』・『享受』・『喜び』等々の諸概念の意味内容がことごとくニュアンスを失って『熨されて』了った(グライヒシャルトゥンク)という、情意生活の上で殆ど致命的な損失――に取り巻かれて今日の日々を暮らしている。」(p.41)


全体主義の時代経験」

「二十世紀は全体主義を生んだ時代である。(略)そこで生まれた全体主義は、今日まで、お互いに異なった三つの形態をとって、(略)現れ続けている。その三形態とは、『戦争の在り方における全体主義』と『政治支配の在り方における全体主義』と、さらに加えて『生活様式における全体主義』とである。『生活様式全体主義』は(略)社会の基礎的次元に達した根本的『全体主義』と言うことも出来る。」(pp.43-4)

「“これこそが典型的な『全体主義』なのだ”と考えられて来た『政治支配の全体主義』については、ハンナ・アレントが物の見事に要約したように、(略)普通の専制政治や独裁政治とは全く違う新しい性質と形と徹底力とを持ったところにこそ特徴があった。そして其処に『政治支配の終末的形式』と呼ぶ他ないものが現れたのであった。それは、『難民』(displaced persons)の生産と拡大再生産を政治体制の根本方針とするものであった。それ故アレントは『二十世紀は難民の世紀となった』と言ったのであろう。(略)しかし、『難民』を生産するとは如何なることか。そもそも『難民』とは何か。それは、『市民としてのすべての法的保護を剥奪されたかもしくは喪失した者』であるから、『生産された難民』は勿論『剥奪された者』であり、(略)一切の社会の内に居場所を持つことを許されない存在が『難民』であった。そうした難民を作り出すためには、今まで市民権(住民権)を得て居た者を法体系の中からあらためて追放しなければならない。その追放を政治体制の軸とするということは、その政治体制の中心を追放行動の運動体とすることを意味する。」(pp.45-6)

「追放の無限拡大は、追放された者を収容する『囲い込み』設備と運営の無限拡大でもある。『刑務所』(刑法の法的保護体系の存在を前提とする)とも『軍隊』(国民であることを前提とする)とも異る『強制収容所』が全く新しい『制度』、制度否定の上に立った[制度は安定性の付与を特徴とするから]『制度』として特別の機構性を持って誕生した。こうして難民の意図的生産・拡大再生産と『制度』の機構との両極が逆説的に一致して、未曾有の政治体制を作り出した。そしてこの体制の中に生きる者には必然的に生まれる『次は俺か』という恐怖と不安は、『運動の組織体』への忠義な帰属心として動員された。」(pp.47-8)

「追放と拘留なら、それを支配の部分として含まなかった政治支配はかつて無かった。しかしそれは何処までも支配体系の部分であって、全体が追放と拘留の両極運動体になることなど予想もできなかった。その点にこそ此の『新しい政治』の政治形態の終末形式があった。」(p.48)

「二十世紀の全体主義は(略)先ず戦争の在り方における全体主義として姿を現したのだった。(略)それは欧州での第一次世界大戦においてであった。」(p.49)

第一次大戦は、(略)どの点が全体主義なのか。先ず第一に宣伝戦の全般的発生とそれがもたらす社会的含意だ。(略)宣伝戦の全般化とは何を意味しているのか。自他の国民全体に対して自国の軍事行動を宣伝することは、兵隊と市民、戦闘員と非戦闘員、戦線と社会生活の間にあった区別を精神面で取り払って、市民と社会生活の領域とを精神的に戦争に動員し参戦させることを意味する。従って第二に、戦争は制度上の戦闘員たる兵隊が行う戦闘行為に止まることをやめて、外的行動のみならず人の内面、特に一般市民の内面をも『もう一つの戦闘員』とするものとなることを意味する。人の内面と外的行為との区別を取り払って人の持つ全ての要素を丸ごと参戦させるのである。」(pp.52-3)

「一般国民の精神を戦争に参加させて了うと、彼らの精神は実際の戦場で生死を賭けさせられたつらさを知らないだけに、経験を欠いた戦争意欲の塊が全社会に瀰漫することになる。経験を欠いた欲望は無闇に昂進する。戦闘経験を持たない者の戦闘意欲は、実態の過酷さという抑制の根拠を内部に持たないために、徒にひたすら燃え上がるばかりである。第一次大戦中に交戦各国の国民の間に『ナショナリズム』の異常な昂進が国家史上始めて起こったのは此の故であった。」(p.53)

「もし早く戦争をやめたければ、相手国政府との交渉だけではなく、自国内に瀰漫している戦争意欲を鎮めなければならない。そしてそれは事の性質上至難の業である。すなわち、対象が理詰めの説得の範囲外にある非合理的な意欲であるという事情と、それを動員した者が今それを鎮めようとする者自身であるという『マッチ・ポンプ』的経過から見て非常に難しい。(略)戦争は時間的にも無制限になり、その意味でも『全体化』する。社会全体がくたばるまで続くのだ。特に敗戦国の場合、その疲弊は物心両面に渡って壊滅的なものになり、それが次々に起こる『政治支配の全体主義』への一つの条件ともなったのであった。」(pp.53-4)

「新しい兵器の一群が[/も]戦争の在り方を一変させ『全体戦争』をもたらした。機関銃と戦車の普及は、(略)撫で殺しにする『大量殺戮』方式の第一歩を踏み出したものであったし、(略)大空と地上の区別を無視する飛び道具が軍事的に使われる時、軍隊という戦闘用特殊組織と一般市民が暮らしている生活社会との決定的な違いもまた無視されるようになる。」(pp.54-5)

「戦争は国家の行為の一つであるにもかかわらず、全国家組織のみならず全社会の全ての要素を動員して『消耗』し尽くす恐るべき無制限の行為となったのである。通常の意味での社会的要素だけではなく、人の心をも『消耗』し、普段は社会的なものとして意識されない生活環境さえもが、すなわち『空』や『海中』すらもが可能な限り使い果たされようとするに至ったのだ。『戦争の在り方における全体主義』の発生とはこのようなものであった。」(p.56)

「動員されて消耗され尽くした結果、従来の職場はなくなり(失業)、近隣・友人のつながりは雲散霧消し(社交の消滅)、(略)全員が自分の生活社会を失ったのである。そうして生活社会を失った人間は、もはや人との関係でも物との関係においても社会人ではなく、関係のつながりの網目から放り出された無社会的孤立者である。(略)自己にだけ『盲目的に執着する被投的実存』という奴である。」(pp.56-7)

「『政治支配の全体主義』は、『戦争の全体主義』が生み落とした社会的結末としての無社会状況を、そのまま政治制度化しようとするものであった。その無社会状況に遍在する不安と恐怖と怨恨、すなわち不安定性をそのまま制度化しようとするのが『政治支配の全体主義』なのであった。」(p.59)

「無社会状況の不安定性をそのまま制度化するということは、絶えず一切の安定性を打ち毀し、安定性をもたらす社会的制度の萌芽はことごとく摘出切除し続けることを意味する。(略)自己の不可欠の基礎としての不安定性を絶えず創り出し続ける『無窮運動』が動き続けるままの姿で制度の名を僭称する。此の点でのみ、『全体主義政治』は全く新しい政治支配形式であった。」(pp.61-2)

「二十世紀の『政治的全体主義』を人は(略)『イデオロギーの支配』と言うけれど、実際は、むしろ『イデオロギーの時代』が終わって、その終末の後に残った形骸が支配の綱領的道具となっているのが、二十世紀の『政治的全体主義』であった。(略)そしてイデオロギーの形骸もまた、(略)無表情な『機械の部品性』と剥出しの暴力的攻撃性とを同時に発揮した。」(pp.69-70)

「この相反する両極的態度の一致(無表情な技術処理者と目的合理性の乱暴な無視の下に行動する狂熱家と)、この一致こそが、思想の形骸化から発する。何故なら、思想の形骸化は綱領化を生み、綱領化は思想の中心及び血肉部分(略)とそれの順次的スケジュール部分への分解を生み、その分解は、一日もじっとしておれない『運動』の中で、スケジュール(行動予定表)の優位をもたらし、そのスケジュールをもさらに『戦略・戦術』へと分化させ、やがて何時の間にか戦術の優位をもたらし、遂に、スローガンの『強迫観念』即ち動かないでいることの不可能な『余裕』の喪失と『実践』との両極が一点に収斂する。思想(略)の解体構造はこのようなものである。」(pp.70-1)

「近世以来の西欧を通じて深化し、拡大してきた具体物・対象の量的次元への還元という知的営為は、物事の処理を効率的にし、処理方法を一般化することによって全ての対象にそのまま適用されて全体統御の極めて合理的な方向を、野蛮さとは全く逆の思考方法と振る舞いをもって推し進めてきた。(略)『量的処理』が示す此の性格、即ち対象の分断、性格の消滅または無視、其処から生まれる大量処理・伝統的対象の偽物扱い等々は(略)『戦争の全体主義』や『政治の全体主義』で過激に実現された特徴であった。とすると、二十世紀の野蛮な『全体主義』は実は、輝かしい西欧近代の知的革命の連続の成果の上に現れた怪物であった、と言うことにもなる。例えば、『政治的全体主義』が自らのあの奇妙な逆説体制をとり続けるために必要であった『難民』(略)創出の量的無限過程化、などに見られる時間的・空間的エンドレスネス。此処に二十世紀全体主義の本質的特徴があるとすれば、今日只今の全世界を蔽って進行して止まない『市場経済全体主義』もまた、『全体主義』の反対物ではなくて、むしろ、本質的特徴を平和的相貌をとりながら極めて鮮明に顕現したものであるのではないか。」(pp.76-7)

「『市場経済』=一定の価格で売買する『活動』のなかで便宜的な媒介手段として考案され制度化されてきた記号物(貨幣)それ自体までが売買の対象物すなわち『商品』とされるばかりか、その『商品』の売買価格の変動は、『市場経済』活動全体の媒介記号の変動であるだけに経済全体への実質的な強制的な影響力(権力)をもつ。」(p.78)

「流動(流通)こそを存在の根本形式とする(何たる逆説!)カレンシー(貨幣)にあらゆる『富』が直接的に集中する。流動そのものがあらゆる価値物・あらゆる富を代表するとは全体主義の特質そのものではないか。」(pp.82-3)

「こうして全体主義の特質を描き出してみれば、激しく且つ絶え間ない流通・流動がすべての形態、対象、モノを呑み込んでいく世界であり、その特質を中心としている限り、その社会は、外見的旗印は何であれ、破局の三十年代を『創立期』とする『創造的』な古典的全体主義とは次元と形式を異にした、新しい全体主義ではないのか。その『流動』の模様は、――つまり全ての富の趨勢の表現は――自然な形の痕など些かも留めない『記号』の抽象的操作の中にだけある(そこには暴力から操作への進化を内に含んだ全体主義史上のの洗練過程さえ窺われる)。」(p.83)

「日本の全体主義化の特徴は、(略)『壮大な新しいものは良いものだ』という態度によって、史上最新の悪をも善として追求し、あるいは模倣し、あるいは加工し、あるいは『高能率化』して自己社会のなかに全体主義を作り上げたことにある。」(p.86)

「『部分』はどれも『部分』であり、在りうる差異は『ヨリ大切な部分』だとか(略)相対的な違いだけであって、『この一部分に過ぎないものが全体そのものなのだ』といったような特権的部分はそもそも存在しない。全体とは色々な部分の相互関係の全局面のことであって、そして『相互関係の全局面』を一つのものや制度や人物や集団や等々で置き換えることはできない。部分には部分の不可侵の存在根拠があり、相互性は何処までも相互性として、関係は何処までも、いくつかのものの間の関係として、単一化できないまま存在する。だからそれらの『全局面』は永久に探求過程そのものとして残り続ける。だから大事なのだ。『部分は部分だ』という、この簡単な常識を忘れるところに全体主義の骨がらみの病気が伏在しているであろう。」(pp.89-90)


「三つの全体主義の時代」

「三つの異なった形態の全体主義が二十世紀史を貫徹している(略)ひとつは戦争における全体主義。これは第一次世界大戦。飛行機が上から爆弾を落とし、兵士と市民との区別を失わせた。二番目がそれを受け継いだ第二次大戦前夜のナチズムを典型とする、スターリニズムもそれに付き従った、要するに追放と拘留、強制収容を無限に繰り返していく体制ですね。そういう全体主義。第三は現在進行中の安楽への全体主義、あるいは市場経済への全体主義。これが三つの異なった形をとった全体主義である。」(p.197)

「[徐京植の言葉]先生の言われる三つの全体主義のうち前の二つは苦痛とか拘束とか、飢餓とか死とか、そういう恐怖を与えることで成り立っている全体主義ですね。(略)その一方、安楽全体主義の場合は人間の欲望を、うまいものを喰いたいとか長生きしたいとかだけじゃなく、一見もっと文化的な欲求まで、平和に静かな環境で暮らしたいというような欲求までもが全体主義的に収攬されている。
[藤田の言葉]割り当てられている……ホロコースト風に一括処理で。『十把一からげ』の方法で。そこが全体主義なんです。
[徐京植の言葉]つまり、安楽全体主義は前二者の全体主義が裏返ったようなものとしてあるように思います。たとえて言えば、人間はむかしからうまいものを喰うための努力もしていたでしょうけど、そのことが自己目的化したり、うまいものを喰いたいという欲望を恥ずかしげもなく賛美したりすることに対しては、ある種の抑制が働いていたんじゃないかと思います。それが宗教によるものか、他のより本源的なものによるかは分かりませんが、王侯貴族や上層市民のやりたい放題の放埒は、庶民からみれば憧れとともに軽蔑や嘲笑の対象でもあった。ところが現代の安楽全体主義のもとでは、こういう抑制がすべて取り払われた……。」(pp.198-9)

「[徐京植の言葉]ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を読んでなるほどと思ったのは、ナショナリズムが人間の〈死〉を取り込むということ、〈死〉はマルクス主義が取り扱う目録からもこぼれている。そこをナショナリズムが回収するという指摘でした。しかし、一方でわたしは、ある死に方のイメージによってわれわれは共同性を担保しているという側面があるとも思います。たとえば(略)小説『太陽の男』に描かれた死こそがまさにパレスチナ人そのもののアイデンティティーを文学的に形象化している。このような二面性が見落とされてはならないと考えました。先生の言われる安楽全体主義では、もう戦争は終わった、死ななくてもいいんだ、これからは快楽を追求し生を謳歌していいんだ、そう思った瞬間に、その生を商業資本主義が収攬してしまったということになるんでしょうか。」(p.200-1)

「『魔術からの解放は急速に進んでおり、古代的な倫理的価値はあらゆる場所で哀れなほどに粗末に扱われ、食い物にされて、まさに雲散霧消しつつある。』古代的な倫理的価値ってのは自分の祖国のために死ぬってことですよね、都市国家のために死ぬっていうことです。『第二次大戦から以降の冷徹な効率性は』これが商業主義のことです。『効率性はまさに「現実的な見方」であることを自負したが、その代わりにこの効率性は、いわゆる「幻想」にとらわれることを恐れる個人の気持ちとかイデオロギー的および宗教的、あるいは伝統的な「上部構造」をなきものにした。』幻想にとらわれることを恐れちゃあいけないんだよね、個人は。幻想にとらわれるのが個人のひとつの権利なんだから。『その結果、人間の生命はもはや犠牲にされるといわれるものではなく、「消される」と表現されるようなものになったのである。我々はまさに、兵士の死に対して、その失われた生命の穴埋めとなる情緒的な等価物を失いつつあるのだ。神であれ、王であれ、「祖国」であれ、「人間性」を包含する観念が、兵士の戦死から(略)とりのぞかれれば、それはまた、自己犠牲の高貴な観念が奪われることも意味するであろう。』自己犠牲ってのもなくなったんだ。『それは、血も涙もない殺戮となるか、もっと悪い場合には、祭日の雑踏での交通事故と変わらない政治的価値しかもたなくなるのである。』これが現代の全体主義の死に方だ。その前の段階の死に方との間の、この対極性の中にある一貫性は、死を大事にしないということである。死を施設の中で、ガス室であるかホスピタルであるか知らんけど……。」(pp.202-3)

「[徐京植の言葉]在日朝鮮人は随分もだえたり痙攣したりしているように見えても、世界は在日朝鮮人のような連中だらけなんですからね。そういう連中が累々たる屍を積み重ねながら、やはり言葉を発し作品を残している。在日朝鮮人はそういうものを産みだし得たのか。やはり、そこには日本との相互浸透という問題もあるんですよね。
[藤田の言葉]そうそう。それが大きいですよね。日本が安楽への全体主義の最先端に立ったのはなぜかというと、そこの対立関係というか断絶関係っていうのを明確にしなかったから。アメリカなんかは明確にする。だから暴動になっちゃう。」(p.207)