『自由からの逃走』
著者は、社会心理学者のエーリッヒ・フロム。1941年の作品。東京創元社。
「本書の主題は、次の点にある。すなわち近代人は、個人に安定をあたえると同時にかれを束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、また感覚的な諸能力の実現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していないということである。自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。」(p.4)
「どこかに帰属しないかぎり、また生活になんらかの意味と方向とがないかぎり、人間はみずからを一片の塵のように感じ、かれの個人的な無意味さにおしつぶされてしまうであろう。かれは自分の生活に、意味と方向とをあたえてくれるどのような組織にも、自分を結びつけることができず、疑いでいっぱいになる。そしてけっきょくはこの疑いのために、かれの行動する力、すなわち生きる力を失うのである。」(p.28)
「他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由になればなるほど、そしてまたかれがますます『個人』となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである。」(p.29)
「比喩的にいえば、個人が外界に結びつけられている臍の緒を、完全にたちきっていない程度に応じて、かれには自由はないのである。しかしこれらの絆は、かれに安定感や帰属感や、またどこかに足をつけているという感じをあたえる。私は、個性化の過程によって、個人が完全に解放される以前に存在するこれらの絆を、『第一次的絆』と呼ぼうと思う。それは人間の正常な発達の一部であるという意味で有機的である。そこには個性はかけているが、安定感と方向づけとがあたえられている。子どもを母親に結びつけている絆、未開社会の成員をその氏族や自然に結びつけている絆、あるいは中世の人間を教会やその社会的階級に結びつけている絆は、この第一次的絆にほかならない。ひとたび個性化が完全な段階に達し、個人がこれらの第一次的絆から自由になると、かれは一つの新しい課題に直面する。すなわちかれは、前個人的存在の場合とは別の方法で、みずからに方向をあたえ、世界のなかに足をおろし、安定を見つけださなければならない。」(pp.34-5)
「子どもが成長し、第一次的絆が次第にたちきられるにつれて、自由を欲し独立を求める気持ちが生まれてくる。しかしこの自由と独立を求めることが、どのような運命になるかは、個性化の進む過程の弁証法的な性質を理解して、はじめて解ることである。この過程には二つの側面がある。その一つは子ともが肉体的にも感情的にも精神的にも、ますます強くなっていくということである。これらのおのおのの領域において、強さと積極性が高まっていく。と同時にこれらの領域がますます綜合化されていく。意志と理性とによって導かれるひ一つの組織された構造が発生する。この組織され綜合されたパースナリティ全体を自我と呼ぶならば、個性化のおし進められていく過程は、一面、自我の力の成長ということもできる。」(p.38)
「個性化の過程の他の面は、孤独が増大していくことである。第一次的絆は安定性をもたらし、外界との根本的な統一をあたえてくれる。子どもはその外界から脱けだすにつれて、自分が孤独であること、すべての他人から引き離された存在であることを自覚するようになる。この外界からの分離は、無力と不安との感情を生みだす。外界は個人的存在と比較すれば、圧倒的に強力であって、往々にして驚異と危険にみちたものである。ここに、個性をなげすてて外界に完全に没入し、孤独と無力の感情を克服しようとする衝動が生まれる。しかしこれらの衝動やそれから生まれる新しい絆は、成長の過程でたちきられた第一次的絆と同一のものではない。ちょうど肉体的に母親の胎内に二度と帰ることができないのと同じように、子どもは精神的にも個性化の過程を逆行することはできない。もしあえてそうしようとすれば、それはどうしても服従の性格をおびることになる。しかもそのような服従においては、権威とそれに服従する子どもとのあいだの根本的な矛盾は、けっして除かれない。子どもは意識的には安定と満足とを感ずるかもわからないが、無意識的には、自分の払っている代価が自分自身の強さと統一性の放棄であることを知っている。」(p.39-40)
「しかし服従が孤独と不安とを回避するただ一つの方法ではない。もう一つ、解きがたい矛盾をさける唯一の生産的な方法がある。すなわち人間や自然にたいする自発的な関係である。それは個性を放棄することなしに、個人を世界に結びつける関係である。この種の関係――そのもっともはっきりしたあらわれは、愛情と生産的な仕事である――は全人格の統一と力強さにもとづいている。」(p.40)
「分離と個性化の進む一歩一歩が、自我の成長と対応しているならば、その子どもの発達は調和のとれたものとなろう。しかしながら、実際にはこのようなことは起らない。個性化の過程は自動的に起るのに反し、自我の成長は個人的社会的な理由で、いろいろと妨げられる。この二つの傾向のズレが、たえがたい孤独感と無力感とを生みだし、そしてこの孤独感と無力感とが、今度は逆にのちに逃避のメカニズムとしてのべるような、心理的メカニズムを生みだすことになる。」(p.41)
「第一次的絆は、原始人の十分な人間的成長を妨げ、理性や批判力の発達を阻害している。それは自己や他人を、ただ氏族という社会的宗教的共同体の一員であるという点で知りあうだけで、けっして人間存在として認めあうのではない。いいかえれば、それは自由な自律的生産的な個人としての成長を妨げる。しかしこれはその一面であって、他の面もある。自然や氏族や宗教とのこの合一は個人に安定性をあたえる。かれは一つの構成された全体に帰属し、そこに足をつけており、明白な確固とした地位をもっている。かれは飢えや抑圧に苦しむかもしれないが、あらゆる苦しみのなかでもっともつらい完全な孤独と疑いとに苦しむことはない。」(p.44)
「われわれは、人間がかれになにをなすべきで、なにをなすべきでないかを教えるような、外的権威から解放されて、自由に行動できるようになったことを誇りに思っている。しかしわれわれは世論とか『常識』など、匿名の権威というものの役割を見落としている。われわれは他人の期待に一致するように、深い注意を払っており、その期待にはずれることを非常に恐れているので、世論や常識の力はきわめて強力となるのである。いいかえれば、われわれは外にある力からますます自由になることに有頂天になり、内にある束縛や恐怖の事実に目をふさいでいる。」(p.122)
「ルッターの教えの主要な点の一つは、人間の精神が邪悪であること、人間の意志や努力が無駄であることを強調したところにある。カルヴァンもまた、同じように人間の罪悪性を強調し、人間は徹底的にその自尊心を否定しなければならないこと、さらに、人間生活はひたすら神の栄光を目ざすものであって、けっして自分自身の栄光を目ざすものではないということが、かれの体系全体の中心思想であった。こうして、ルッターとカルヴァンは、近代社会で人間がとらなければならない役割への、心理的な準備をあたえたのである。すなわち、自分自身の存在が無意味であると感ずることと、自分の目的ではない目的のために、ひたすら自己の生活を従属させようと用意することである。ひとたび人間が、正義も愛ももたない神の栄光のために、ただその手段になろうという心構えを作れば、それは経済的な機械に――あるいはときには一人の『指導者』に――たいする召使いの役割を受けいれるように、十分準備することになるのである。」(pp.127-8)
「客観的には自己以外の目的に奉仕する召使いとなりながら、しかも主観的には、自分の利益によって動いていると信じている事実を、一体われわれはどのようにして解決できるであろうか。プロテスタンティズムの精神と、近代的な利己主義の信条とをどのようにわかいさせることができるであろうか。」(p.130)
「個人はますます孤独に、ますます孤立するようになり、自分のそとにある圧倒的に強力な力にあやつられる、一つの道具となってしまった。かれは『個人』となったが、途方にくれた不安な個人となった。このかくれた不安が、あらわにでてくるのを抑えるのに役立つような条件はあった。まず第一に、それは自我をささえる財産の所有である。(略)衣服や家屋はかれの肉体の一部であると同様に、かれの自我の一部分でもあった。(略)自我をささえる他の要素は名声と権力とであった。(略)他人から尊敬されたり、他人を支配したりすることは、財産があたえた支えをさらに強化し、不安な自我の後楯となった。財産や社会的名声をほとんどもたない人間にとっては、家族が個人的威光をあたえる源であった。(略)かれは妻や子供をしたがえ、舞台の中心となることができた。(略)家族のほかに、国家的な誇り(ヨーロッパではしばしば階級的誇り)がまた重要な意味をあたえた。個人的には無に等しくても、自分の属している集団が、同じような他の集団よりも優れていると感ずることができれば、それを誇ることができた。(略)支えとしての要素はたんに不安や懸念を埋めあわせることを助けたにすぎない。それらは不安や懸念を根絶させたのではなく、それらをおおったのである。そうして個人が意識的に安定を感ずるようにしむけたのである。しかしこの意識的な安定感は表面的なもので、支えが存在するかぎり、持続するものにすぎなかった。」(pp.137-8)
「一九二三年のドイツのインフレーションや、一九二九年のアメリカの恐慌は、不安の感情を増大し、自分の努力で前進していく希望や、成功の無限の可能性を信ずる伝統的な信念をこなみじんにしたのである。」(p.140)
「かれ[一般の普通人]は『……からの自由』の重荷にたえていくことはできない。かれらは消極的な自由から積極的な自由へと進むことができないかぎり、けっきょく自由から逃れようとするほかないであろう。現代における逃避の主要な社会的通路はファッシスト国家におこったような指導者への隷属であり、またわれわれ民主主義的国家に広くいきわたっている強制的な画一化である。」(pp.150-1)
「よく適応しているという意味で正常な人間は、人間的価値についてはしばしば、神経症的な人間よりも、いっそう不健康であるばあいもありうるであろう。かれはよく適応しているとしても、それは期待されているような人間になんとかなろうとして、その代償にかれの自己をすてているのである。こうして純粋な個性と自然性とはすべて失われるであろう。これにたいして、神経症的な人間とは、自己のためのたたかいにけっして完全に屈服しようとしない人間であるということもできよう。」(p.157)
「自由からの逃避の最初のメカニズムは、人間が個人的自我の独立をすてて、その個人にはかけているような力を獲得するために、かれの外がわのなにものかと、ありはなにごとかと、自分自身を融合させようとする傾向がある。いいかえれば、失われた第一次的絆のかわりに、新しい『第二次的』な絆を求めることである。このメカニズムは、服従と支配への努力という形で、はっきりとあらわれる。あるいはむしろ、(略)マゾヒズム的およびサディズム的とでもいいうるような努力のうちに、あらわれる。」(p.159-60)
「マゾヒズム的な努力としてもっともしばしばあらわれる形は、劣等感、無力感、個人の無意味さの感情である。(略)かれらは意識的にはこの感情を不満に思い、それからのがれようとしているが、無意識的には、かれらの内部にひそむある力にかられて、自分を無力な、重要でないものと感じていることがわかる。かれらは自分を肯定しようとせず、(略)外がわの力の、現実的な、あるいは確実と考えられる秩序に服従しようとする。」(p.160)
「このマゾヒズム的な傾向は、しばしばただ単純に病的で非合理的だと感じられている。しかしその傾向は合理化されることがいっそう多い。マゾヒズム的な依存は愛とか忠誠と思われ、劣等感は実際の欠点の適切な表現と思われ、なやみはすべて変化しない環境のせいだと思われる。」(p.161)
「このマゾヒズム的傾向とならんで、その正反対のもの、すなわちサディズム的傾向が、だいたい同じような性格のもののうちにみられる。」(pp.161-2)
「サディズム的傾向は、あきらかな理由から、社会的にはずっと害のないマゾヒズム的傾向よりも、いっそう無意識的であり、いっそう合理化されることが多い。しばしばそれは、他人にたいする過度の善意、過度の配慮の結果であるとして、おおいかくされる。」(p.162)
「サディズム的人間と、かれのサディズムの対象との関係において、つぎのことがみのがされることが多い。(略)それはサディズムの対象へのかれの依存である。(略)サディストはかれが支配する人間を必要としている。(略)というのはかれの強者の意識は、かれがだれかを支配しているという事実に根ざしていいるから。」(p.163)
「マゾヒズム的およびサディズム的努力のいずれもが、たえがたい孤独感と無力感とから個人を逃れさせようとするものである。」(p.169)
「マゾヒズム的努力のさまざまな形は、けっきょく一つのことをねらっている。個人的自己からのがれること、自分自身を失うこと、いいかえれば、自由の重荷からのがれることである。このねらいは、個人が圧倒的に強いと感じる人物や力に服従しようとするマゾヒズム的努力のうちにはっきりあらわれる。」(p.170)
「もし個人がこのようなマゾヒズム的努力を満足させる文化的な型をみつけることができれば(たとえばファッシストのイデオロギーにおける『指導者』への服従のように)、かれはこの感情をともにする数百万のひとびとと結びついているように感じて、安定感をうるのである。」(p.171)
「後者[合理的行為]の場合は、結果は行為の動機に対応する。ひとはある結果をえようとして行為する。神経症的努力においては、ひとは強迫によって行為する。その強迫はたえがたい状態からのがれたいという本質的に否定的な性格をもっている。この努力はただかりそめの解決の方向をもつだけである。じっさいには、その結果はかれがのぞんだことと矛盾する。」(p.172)
「個人的自我を絶滅させ、たえがたい孤独感にうちかとうとする試みは、マゾヒズム的努力の一面にすぎない。もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、良心でも、あるいは肉体的強制でも、なんでもよい。ゆるぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力の部分となることによって、ひとはその力と栄光にあやかろうとする。ひとは自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げすて、個人としての統一性を失い、自由をうちすてる。しかしかれは、かれが没入した力に参加することによって、新しい安全と新しい誇りとを獲得する。またかれは疑惑という責苦に抵抗する安全性も獲得する。マゾヒズム的人間は、外部的権威であろうと、内面化された良心あるいは心理的強制であろうと、ともかくそれらを主人とすることによって、決断するということから解放される。(略)かれはまたかれの生活の意味がなんであり、かれがなにものであるかという疑惑からも解放される。このような問題は、かれが結びついている力との関係によって答えられる。かれの生活の意味やかれの自我の同一性は、自身が屈服したより大きな全体によって決定されるのである。」(p.174)
「自己は『第二次的絆』のなかに安定感を求めようとする。それはマゾヒズム的絆とも呼ぶべきものであろうが、しかしこの試みは成功するはずがない。(略)根本的にはかれはかれの自己喪失になやむ無力なアトムにすぎない。かれと、かれがしがみつく力とは、けっして一つになることはない。」(p.175)
「心理学的意味における共棲とは、自己を他人と(あるいはかれの外側のどのような力とでも)、おたがいに自己自身の統一性を失い、おたがいに完全に依存しあうように、一体化することを意味する。一方[マゾヒズム]では私は自己の外側の力のなかに解消する。私は私を失う。他方[サディズム]では私は自己を拡大し、他人を自己の一部にするが、そのさい私は独立した個人としては欠けていた力を獲得するのである。他人と共棲的な関係にはいとうする衝動へかりたてられるのは、自己自身の孤独感に抵抗できないからである。こうしてマゾヒズム的傾向とサディズム的傾向とがまじりあっているということが証明される。それらは表面的に矛盾しているが、本質的には同じ要求に根ざしている。ひとびとはサディズム的であるか、あるいはマゾヒズム的であるのではない。共棲的複合体には、つねに振子のように、能動的な側面と受動的な側面があり(略)」p.176)
「もし愛とは、ある特定の人物の本質にたいする、熱情的な肯定であり、積極的な交渉を意味するのであれば、またもし愛とは当事者二人の独立と統一性とにもとづいた人間同士の結合を意味するのであれば、マゾヒズムと愛とは対立するものである。もしそれが、一方の側の服従と統一性の喪失とにもとづいているのならば、いかにその関係を合理化しようと、それはマゾヒズム的な依存にほかならない。サディズムもまたしばしば愛のよそおいのもとにあらわれる。」(p.179)
「サド・マゾヒズム的衝動が支配的であるような人間(略)は必ずしも神経症的であるわけではない。(略)ドイツやその他ヨーロッパ諸国の、下層中産階級の大部分には、このサド・マゾヒズム的性格が典型的に見られる。(略)ナチのイデオロギーがもっとも強く訴えたのは、まさしくこの種の性格構造であった。(略)私はサド・マゾヒズム的性格という言葉を使うかわりに、『権威主義的性格』と呼ぶことにしたい。(略)かれは権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時にかれはみずから権威であろうと願い、他のものを服従させたいと願っている。」(pp.181-2)
「最近になって、『良心』の重要性は失われてきた。個人生活において力をふるっているのは、いまや外的権威でも内的権威でもないようである。(略)あらわな権威のかわりに、匿名の権威が支配する。そのよそおいは、常識であり、科学であり、精神の健康であり、正常性であり、世論である。それは強制せず、おだやかに説得するようにみえる。(略)匿名の権威は、あらわな権威よりも効果的である。というのは、ひとはそこにかれが服従することが期待されているような秩序があろうなどとは想像もしていないから。」(pp.185-6)
「すべての権威主義的思考に共通の特質は、人生が、自分自身やかれの関心や、かれの希望をこえた力によって決定されているという確信である。」(p.189)
「権威主義的哲学においては、平等の観念は存在しない。(略)かれにとっては、この世界は力をもつものともたないもの、優れたものと劣ったものとからできている。サド・マゾヒズム的追求にもとづいて、かれはただ支配と服従だけを経験するが、けっして連帯は経験しない。性の差別であれ、人種の差別であれ、けっきょく優越と劣等しるしでしかない。」(p.191)
「社会的にもっとも重要な意味をもつ、もう一つのメカニズム(略)は、現代社会において、大部分の正常なひとびとのとっている解決方法である。簡単にいえば、個人が自分自身であることをやめるのである。すなわち、かれは文化的な鋳型によってあたえられるパースナリティを、完全に受けいれる。そして他のすべてのひとびととまったく同じような、また他のひとびとがかれに期待するような状態になりきってしまう。『私』と外界との矛盾は消失し、それと同時に、孤独や無力を恐れる意識も消える。(略)個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれのはらう代価は高価である。すなわち自己の喪失である。」(pp.203-4)
「感情や思想が外部からもたらされているのに、しかもそれがどのようにして、主観的には自分自身の感情や思想のように経験されるのであるか(略)」(p.204)
「人間は自分の精神的行為の自発性を確信しているとしても、じっさいには、それはある特殊な状況のもとで、だれか他の人間の影響に由来しているということである。(略)われわれの思考や感情や意志の内容が外部から導入されたものであり、純粋なものではないという事実は非常に顕著であって(略)」(p.208)
「われわれの決断の大部分は、じっさいにはわれわれ自身のものではなく、外部からわれわれに示唆されるものである。決断を下したのは自分であると信ずることはできても、じっさいには孤独の恐ろしさや、われわれの生命、自由、安楽にたいする、より直接的な脅威にかりたてられて、他人の期待に歩調を合わせているのにすぎない。」(p.218)
「ひとびとが決断をくだしたり、なにかを求めたりするとき、じっさいにはかれらがしようとしていることを、欲し『なければならなく』なるような、内的外的な圧力にしたがっているのにすぎないのである。事実、人間の決断という現象を観察すると、慣習や義務や単なる圧力にしたがっているのにすぎないことを、『みすからの』決断とみなしている誤りが、いかに広くおこなわれているかがわかる。」(p.220)
「思考や感情や意志について、本来の行為がにせの行為に代置されることは、遂には本来の自己がにせの自己に代置されるところまで進んでいく。本来の自己とは、精神的な諸活動の創造者である自己である。にせの自己は、実際には他人から期待されている役割を代表し、自己の名のもとにそれをおこなう代理人にすぎない。たしかに、ある人間は多くの役割を果たし、主観的には、各々の役割においてかれは『かれ』であると確信することができるであろう。しかしじっさいには、かれはこれらすべての役割において他人から期待されていると思っているところのものであり、(略)本来の自己はにせの自己によって、完全におさえられている。」(p.224)
「自己の喪失とにせの自己の代置は、個人を烈しい不安の状態になげこむ。かれは本質的には、他人の期待の反映であり、ある程度自己の同一性を失っているので、かれには懐疑がつきまとう。このような同一性の喪失から生まれてくる恐怖を克服するために、かれは順応することを強いられ、他人によってたえず認められ、承認されることによって、自己の同一性を求めようとする。」(p.225)
「ナチのイデオロギーがなぜそんなに下層中産階級に共感をよびおこしたかという問題の答は、下層中産階級の社会的性格のうちに求められなければならない。(略)下層中産階級にはその歴史を通じて特徴的な幾つかの特性があった。すなわち、強者への愛、弱者に対する嫌悪、小心、敵意、金についても感情についてもけちくさいこと、そして本質的には禁欲主義というようなことである。かれらの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人にたいしてはせんさく好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を道徳的公憤として合理化していた。かれらの全生活は心理的にも経済的にも欠乏の原則にもとづいていた。」(p.234)
「戦後いっそう急速に衰退したのは下層中産階級の経済的地位ばかりでなく、その社会的威信もそうであった。戦前は労働者よりもましなものとして自分を感ずることができた。革命後、労働者階級の社会的威信がいちじるしく向上し、その結果下層中産階級の威信が相対的に失墜した。もはやみおろすべきなにびともなくなり、小さな商店主やその同類の生活において、常にもっとも貴重な資産の一つであった特権も失われた。これらの要因に加えて、中産階級の安定の最後の要塞である家族また粉砕されてしまった。戦後の発展は、おそらく他の国々よりもドイツにおいてはいっそう強く、父親の権威と中産階級の古いモラルの権威を動揺させた。」(p.237)
「増大する社会的不満は外部へ反射することになり、それは国家社会主義の重要な源泉となった。すなわち旧中産階級の経済的社会的運命を認識するかわりに、その成員は自己の運命を意識的に国家と関係させて考えた。国家の敗北とヴェルサイユ条約は現実の不満――社会的不満――がすりかえられるシンボルとなった。(pp.238-9)
「ヴェルサイユ条約にたいする憤りは下層中産階級のうちに根ざしていた。そして国家的公憤は社会的劣等感を国家的劣等感に投影する一つの合理化であった。」(p.239)
「大戦後、独占資本主義によっておびやかされたのは中産階級、とくに下層中産階級であった。こうして中産階級の不安とそこから生ずる憎悪が生まれた。そして中産階級は恐慌の状態におちいり、無力な人間を支配しようとする渇望と、隷属しようとする渇望でいっぱいになった。」(p.242)
「『指導者』は第一番に権力を享受する人間であるが、大衆もけっしてサディズム的満足を奪われていなかった。ドイツ内の人種的政治的少数者や、また最後には、弱小であるとか衰亡しつつあるとかされる他の諸国民が、大衆を満足させるサディズムの対象である。ヒットラーとかれの官僚は、ドイツの大衆を支配する力を享受するが、これらの大衆は他の国民を支配する力を享受するように、また世界征覇の野望にかりたてられるように教えられる。」(p.247)
「サド・マゾヒズム的性格に非常に典型的な、強者にたいする愛と無力者にたいする憎悪は、ヒットラーやかれの追随者の非常に多くの政治的行動を説明する。(略)ヒットラーはワイマール共和国を弱体であるが故に憎悪し、工業や軍隊の指導者は力を有しているが故にこれを尊敬した。」(p.253)
「ナチのイデオロギーや実践のマゾヒズム的側面は、大衆をみるともっとも明白である。大衆はくりかえしくりかえし、個人はとるにたらず問題にならないと聞かされる。個人はこの自己の無意義さを承認し、自己をより高い力のなかに解消して、このより高い力の強さと栄光に参加することに誇りを感じなければならない。」(p.254)
「マゾヒズム的憧憬はヒットラー自身にもみいだされる。かれにとっては、服従すべき優越した力は神、運命、必然、歴史、自然である。じっさいにはこれらの言葉はかれにとってすべてほぼ同じような意味、すなわち圧倒的に強い力の象徴という意味をもっている。」(pp.256-7)
「近代人は、(略)あまりにも多くの欲望をもっているように思われ、かれの唯一の問題は、自分がなにを欲しているかは知っているが、それを獲得することはできないということであるように思われる。(略)しかも大部分のひとは、この行為の前提、すなわちかれらが自分の本当の願望を知っているという前提を疑問に考えることはない。かれらは自分の追求している目標が、かれら自身欲しているものであるかどうかということを考えない。」(p.277)
「近代人は自分の欲することを知っているというまぼろしのもとに生きているが、実際には欲すると予想されるものを欲しているにすぎないという真実(略)」(p.278)
「われわれは古い明らさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気がつかない。われわれはみずから意志する個人であるというまぼろしのもとに生きている自動人形となっている。」(p.279)
「社会的性格は個人のもっている特性のうちから、あるものを抜きだしたもので、一つの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、その集団に共同の基本的経験と生活様式の結果発達したものである。」(p.306)
「ある一定の社会的状態において、人間のエネルギーがひとつの生産的な力として、どのように形成され作用するかを理解しようと思えば、そのときには社会的性格がわれわれの主要な関心となってくる。」(pp.306-7)
「社会的性格という概念は、社会過程を理解するための鍵となる概念である。性格というのは(略)人間のエネルギーが一定の社会の特殊な存在様式にたいし、人間の欲求がダイナミックに適応した結果、形成されるものである。しかし性格は、逆に個人の思考や感情や行動を決定する。」(p.307)
「ことなったパースナリティをもつ二人の人間が、たとえば愛について語るばあい、その言葉は同じであっても、その意味はかれらの性格構造の差異によって、まったくことなっている。」(p.308)
「ことなった社会や、また同じ社会のなかでもことなった階級は、それぞれ特殊な社会的性格をもっていて、そえにもとづいてことなった観念が発達し強力となる。」(p.308)
「プロテスタントやカルヴィニズムの教義を分析して明らかになったことは、これらの思想が新しい宗教の帰依者のあいだで強力な力となったのは、それらの思想が、それを教えられたひとびとの性格構造のなかに存在していた、欲求や不満に訴えたからだということである。いいかえれば、思想が強力なものとなりうるのは、それがある一定の社会的性格にいちじるしくみられる、ある特殊な人間的欲求に応える限りにおいてである。」(p.310)
「性格の特性は、(略)純粋に心理的な機能をもっている。そのパースナリティから金をためたいという欲望をもつ人間は、そのように行動できれば、深い心理的な満足を感じる。」(pp.311-2)
「正常な人間にたいする性格の主観的機能は、かれをして実際の見地から必要なことに即応して行動せしめるということであり、またその行動によってかれに心理的な満足をあたえるということである。」(p.312)
「性格が社会的要求にダイナミックに適応していくことによって、人間のエネルギーは、(略)一定の型に形成され、特殊な経済的要求に応じて行動するようにしむけられていく。こうして、近代人は外から強いられて一生懸命に働くのではなく、仕事にたいする内的な強制によって動かされている。(略)社会的性格は外的な必要を内面化し、ひいては人間のエネルギーをある一定の経済的社会組織の課題に準備させるのである。」(p.313)
「一度ある欲求が性格構造のうちに発達すると、これらの欲求にそった行動はどのようなものでも、心理的にも、また物質的成功という点から実際的にも、同時に満足をあたえられる。社会が個人にこれら二つの満足を同時にあたえるとき、心理的な力が社会構造を強化する状況がみいだされる。」(p.313)
「社会的性格は、社会構造にたいして人間性がダイナミックに適応していく結果生まれる。社会的条件が変化すると社会的性格が変化し、新しい欲求と願望が生まれる。これらの新しい欲求が新しい思想を生み、ひとびとにそれらの思想をうけいれやすいようにする。これらの新しい思想が、こんどは新しい社会的性格を固定化し強化し、人間の行動を決定する。いいかえれば、社会的条件は性格という媒体を通して、イデオロギー的現象に影響をあたえる。」(pp.326-7)