『全体主義の時代経験』
著者は、政治思想史家の藤田省三。筆者が読んだのは『藤田省三著作集6』(みすず書房)。
「『安楽』への全体主義――充実を取戻すべく」
「停どまる所を知らないままに、ますます『高度化』する技術の開発を更に促し、そこから産まれる広大な設備体系や完結的装置や最新製品を、その底に隠されている被害を顧みることもなく、進んで受け容れていく生活態度は、一体どのような心の動きから発しているのであろうか。(略)それは、私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了いたいとする絶えざる心の動きである。(略)不快を避ける行動を必要としないで済むように、反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去して了いたいという動機のことを言っているのである。」(pp.29-30)
「不快の源そのものの一斉全面除去(根こぎ)を願う心の動きは、一つ一つ相貌と程度を異にする個別的な苦痛や不愉快に対してその場合その場合に応じてしっかりと対決しようとするのではなくて、逆にその対面の機会そのものを無くして了おうとするものである。」(p.30)
「両者[かつての軍国主義と、高度成長を遂げ終えた今日の私的『安楽』主義]に共通して流れているものは、恐らく、不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互交渉を行なうことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性である。」(p.31)
「今日の社会は、不快の源そのものを追放しようとする結果、不快のない状態としての『安楽』すなわちどこまでも括弧つきの唯々一面的な『安楽』を優先的価値として追求することとなった。それは、不快の対象として生体内で不快と共存している快楽や安らぎとは全く異なった不快の欠如態なのである。」(pp.31-2)
「それ[或る自然な反応の欠如態としての『安楽』]が日常生活の中で四六時中忘れることの出来ない目標となって来ると、心の自足的安らぎは消滅して『安楽』への狂おしい追求と『安楽』喪失への焦立った不安が却って心中を満たすこととなる。こうして能動的な『安楽への隷属』は『焦立つ不安』を分かち難く内に含み持って、今日の特徴的な精神状態を形つくることとなった。『安らぎを失った安楽』という前古未曾有の逆説が此処に出現する。」(pp.32-3)
「全ての不快の素を無差別に一掃して了おうとする現代社会は、(略)『安楽への隷属』を生み、安楽喪失への不安を生み、分断された刹那的享受の無限連鎖を生み、そしてその結果、『喜び』の感情の典型的な部分を喪わせた。そしてその『喜び』が物事成就に至る紆余曲折の克服から生まれる感情である限り、それの消滅は単にそれだけに停どまるものではない。克服の過程が否応なく含む一定の『忍耐』、様々な『工夫』、そして曲折を越えていく『持続』などのいくつもの徳が同時にまとめて喪われているのである。克服の『喜び』が精神生活の中の大切な極として重要視されなければならないのも、それがこうした諸徳性を含み込んだ総合的感情だからこそなのである。だからその『喜び』が消滅することは複合的統合態としての精神の、つまり精神構造の、解体と雲散を指し示している。」(pp.36-7)
「音調にせよ色どりにせよ形態にせよ行動にせよ感情にせよ、この起伏が一つの進行現象の中に脈打っている時、私たちの精神はそれに対応して弾みを獲得し、そこに自力の歩行や昇降力や立体的構成力を、すなわち自己克服の動力を内側に保持することになる。内燃機関の保有である。そうして、そのことが全自然の一環として自分を保つ『謙虚さ』の元でもあるのだ。(略)人生の中に自然な起伏のリズムが保たれる時、私たちの精神は、独立内燃機関を持って、自己克服の『喜び』に到達する構成力を持つものになるだけではなくて、自然の一部としての謙虚な自覚と抑制の心を備えることになる。」(pp.37-8)
「典型的な『喜び』の感情が、試練を含んだ一定の道のりを歩み切るとき産まれるものである限り、当然それは起伏の先に横たわっている物への感受性を先ず条件として含んでいる。遠方の目的物を心中に想い浮かべて見ることが出来る時、始めて、山や谷の起伏を進んで乗り切ろうとする意志が生まれるからである。克服への意志は、こうして『山の彼方の』遠方を見る心の視力を知覚上の基盤として発生する。(略)しかし、人生の道筋から山を削り谷を埋める造成が全体的に行きわたる時、起伏の向こうを見る視力は退化し、その状態に慣れる時、視力回復への意欲さえもが萎えしぼんで了う。」(p.39)
「抑制心を失った『安楽』追求のその不安が、手近かな所で安楽を保護してくれそうな者を、利益保護者を探し求めさせる。会社への依存と過剰忠誠、大小の全ゆる有力組織への利己的な帰属心、その系列上での国家への依存感覚、それらが社会全般にわたって強まってきているのは、其処に由来する。この現状の中では、例えば会社への全身的な『忠誠』も、不安に満ちた自己安楽追求の、形を変えた別の現れに他ならないから、そこには他人に対する激しい競争や抑制の無い蹴落としが当り前のこととして含まれている。」(pp.39-40)
「私たちは、その膨大な一連の喪失――『物』の概念を始め、生活の中心に関連する、『安らぎ』・『楽しみ』・『享受』・『喜び』等々の諸概念の意味内容がことごとくニュアンスを失って『熨されて』了った(グライヒシャルトゥンク)という、情意生活の上で殆ど致命的な損失――に取り巻かれて今日の日々を暮らしている。」(p.41)
「全体主義の時代経験」
「二十世紀は全体主義を生んだ時代である。(略)そこで生まれた全体主義は、今日まで、お互いに異なった三つの形態をとって、(略)現れ続けている。その三形態とは、『戦争の在り方における全体主義』と『政治支配の在り方における全体主義』と、さらに加えて『生活様式における全体主義』とである。『生活様式の全体主義』は(略)社会の基礎的次元に達した根本的『全体主義』と言うことも出来る。」(pp.43-4)
「“これこそが典型的な『全体主義』なのだ”と考えられて来た『政治支配の全体主義』については、ハンナ・アレントが物の見事に要約したように、(略)普通の専制政治や独裁政治とは全く違う新しい性質と形と徹底力とを持ったところにこそ特徴があった。そして其処に『政治支配の終末的形式』と呼ぶ他ないものが現れたのであった。それは、『難民』(displaced persons)の生産と拡大再生産を政治体制の根本方針とするものであった。それ故アレントは『二十世紀は難民の世紀となった』と言ったのであろう。(略)しかし、『難民』を生産するとは如何なることか。そもそも『難民』とは何か。それは、『市民としてのすべての法的保護を剥奪されたかもしくは喪失した者』であるから、『生産された難民』は勿論『剥奪された者』であり、(略)一切の社会の内に居場所を持つことを許されない存在が『難民』であった。そうした難民を作り出すためには、今まで市民権(住民権)を得て居た者を法体系の中からあらためて追放しなければならない。その追放を政治体制の軸とするということは、その政治体制の中心を追放行動の運動体とすることを意味する。」(pp.45-6)
「追放の無限拡大は、追放された者を収容する『囲い込み』設備と運営の無限拡大でもある。『刑務所』(刑法の法的保護体系の存在を前提とする)とも『軍隊』(国民であることを前提とする)とも異る『強制収容所』が全く新しい『制度』、制度否定の上に立った[制度は安定性の付与を特徴とするから]『制度』として特別の機構性を持って誕生した。こうして難民の意図的生産・拡大再生産と『制度』の機構との両極が逆説的に一致して、未曾有の政治体制を作り出した。そしてこの体制の中に生きる者には必然的に生まれる『次は俺か』という恐怖と不安は、『運動の組織体』への忠義な帰属心として動員された。」(pp.47-8)
「追放と拘留なら、それを支配の部分として含まなかった政治支配はかつて無かった。しかしそれは何処までも支配体系の部分であって、全体が追放と拘留の両極運動体になることなど予想もできなかった。その点にこそ此の『新しい政治』の政治形態の終末形式があった。」(p.48)
「二十世紀の全体主義は(略)先ず戦争の在り方における全体主義として姿を現したのだった。(略)それは欧州での第一次世界大戦においてであった。」(p.49)
「第一次大戦は、(略)どの点が全体主義なのか。先ず第一に宣伝戦の全般的発生とそれがもたらす社会的含意だ。(略)宣伝戦の全般化とは何を意味しているのか。自他の国民全体に対して自国の軍事行動を宣伝することは、兵隊と市民、戦闘員と非戦闘員、戦線と社会生活の間にあった区別を精神面で取り払って、市民と社会生活の領域とを精神的に戦争に動員し参戦させることを意味する。従って第二に、戦争は制度上の戦闘員たる兵隊が行う戦闘行為に止まることをやめて、外的行動のみならず人の内面、特に一般市民の内面をも『もう一つの戦闘員』とするものとなることを意味する。人の内面と外的行為との区別を取り払って人の持つ全ての要素を丸ごと参戦させるのである。」(pp.52-3)
「一般国民の精神を戦争に参加させて了うと、彼らの精神は実際の戦場で生死を賭けさせられたつらさを知らないだけに、経験を欠いた戦争意欲の塊が全社会に瀰漫することになる。経験を欠いた欲望は無闇に昂進する。戦闘経験を持たない者の戦闘意欲は、実態の過酷さという抑制の根拠を内部に持たないために、徒にひたすら燃え上がるばかりである。第一次大戦中に交戦各国の国民の間に『ナショナリズム』の異常な昂進が国家史上始めて起こったのは此の故であった。」(p.53)
「もし早く戦争をやめたければ、相手国政府との交渉だけではなく、自国内に瀰漫している戦争意欲を鎮めなければならない。そしてそれは事の性質上至難の業である。すなわち、対象が理詰めの説得の範囲外にある非合理的な意欲であるという事情と、それを動員した者が今それを鎮めようとする者自身であるという『マッチ・ポンプ』的経過から見て非常に難しい。(略)戦争は時間的にも無制限になり、その意味でも『全体化』する。社会全体がくたばるまで続くのだ。特に敗戦国の場合、その疲弊は物心両面に渡って壊滅的なものになり、それが次々に起こる『政治支配の全体主義』への一つの条件ともなったのであった。」(pp.53-4)
「新しい兵器の一群が[/も]戦争の在り方を一変させ『全体戦争』をもたらした。機関銃と戦車の普及は、(略)撫で殺しにする『大量殺戮』方式の第一歩を踏み出したものであったし、(略)大空と地上の区別を無視する飛び道具が軍事的に使われる時、軍隊という戦闘用特殊組織と一般市民が暮らしている生活社会との決定的な違いもまた無視されるようになる。」(pp.54-5)
「戦争は国家の行為の一つであるにもかかわらず、全国家組織のみならず全社会の全ての要素を動員して『消耗』し尽くす恐るべき無制限の行為となったのである。通常の意味での社会的要素だけではなく、人の心をも『消耗』し、普段は社会的なものとして意識されない生活環境さえもが、すなわち『空』や『海中』すらもが可能な限り使い果たされようとするに至ったのだ。『戦争の在り方における全体主義』の発生とはこのようなものであった。」(p.56)
「動員されて消耗され尽くした結果、従来の職場はなくなり(失業)、近隣・友人のつながりは雲散霧消し(社交の消滅)、(略)全員が自分の生活社会を失ったのである。そうして生活社会を失った人間は、もはや人との関係でも物との関係においても社会人ではなく、関係のつながりの網目から放り出された無社会的孤立者である。(略)自己にだけ『盲目的に執着する被投的実存』という奴である。」(pp.56-7)
「『政治支配の全体主義』は、『戦争の全体主義』が生み落とした社会的結末としての無社会状況を、そのまま政治制度化しようとするものであった。その無社会状況に遍在する不安と恐怖と怨恨、すなわち不安定性をそのまま制度化しようとするのが『政治支配の全体主義』なのであった。」(p.59)
「無社会状況の不安定性をそのまま制度化するということは、絶えず一切の安定性を打ち毀し、安定性をもたらす社会的制度の萌芽はことごとく摘出切除し続けることを意味する。(略)自己の不可欠の基礎としての不安定性を絶えず創り出し続ける『無窮運動』が動き続けるままの姿で制度の名を僭称する。此の点でのみ、『全体主義政治』は全く新しい政治支配形式であった。」(pp.61-2)
「二十世紀の『政治的全体主義』を人は(略)『イデオロギーの支配』と言うけれど、実際は、むしろ『イデオロギーの時代』が終わって、その終末の後に残った形骸が支配の綱領的道具となっているのが、二十世紀の『政治的全体主義』であった。(略)そしてイデオロギーの形骸もまた、(略)無表情な『機械の部品性』と剥出しの暴力的攻撃性とを同時に発揮した。」(pp.69-70)
「この相反する両極的態度の一致(無表情な技術処理者と目的合理性の乱暴な無視の下に行動する狂熱家と)、この一致こそが、思想の形骸化から発する。何故なら、思想の形骸化は綱領化を生み、綱領化は思想の中心及び血肉部分(略)とそれの順次的スケジュール部分への分解を生み、その分解は、一日もじっとしておれない『運動』の中で、スケジュール(行動予定表)の優位をもたらし、そのスケジュールをもさらに『戦略・戦術』へと分化させ、やがて何時の間にか戦術の優位をもたらし、遂に、スローガンの『強迫観念』即ち動かないでいることの不可能な『余裕』の喪失と『実践』との両極が一点に収斂する。思想(略)の解体構造はこのようなものである。」(pp.70-1)
「近世以来の西欧を通じて深化し、拡大してきた具体物・対象の量的次元への還元という知的営為は、物事の処理を効率的にし、処理方法を一般化することによって全ての対象にそのまま適用されて全体統御の極めて合理的な方向を、野蛮さとは全く逆の思考方法と振る舞いをもって推し進めてきた。(略)『量的処理』が示す此の性格、即ち対象の分断、性格の消滅または無視、其処から生まれる大量処理・伝統的対象の偽物扱い等々は(略)『戦争の全体主義』や『政治の全体主義』で過激に実現された特徴であった。とすると、二十世紀の野蛮な『全体主義』は実は、輝かしい西欧近代の知的革命の連続の成果の上に現れた怪物であった、と言うことにもなる。例えば、『政治的全体主義』が自らのあの奇妙な逆説体制をとり続けるために必要であった『難民』(略)創出の量的無限過程化、などに見られる時間的・空間的エンドレスネス。此処に二十世紀全体主義の本質的特徴があるとすれば、今日只今の全世界を蔽って進行して止まない『市場経済全体主義』もまた、『全体主義』の反対物ではなくて、むしろ、本質的特徴を平和的相貌をとりながら極めて鮮明に顕現したものであるのではないか。」(pp.76-7)
「『市場経済』=一定の価格で売買する『活動』のなかで便宜的な媒介手段として考案され制度化されてきた記号物(貨幣)それ自体までが売買の対象物すなわち『商品』とされるばかりか、その『商品』の売買価格の変動は、『市場経済』活動全体の媒介記号の変動であるだけに経済全体への実質的な強制的な影響力(権力)をもつ。」(p.78)
「流動(流通)こそを存在の根本形式とする(何たる逆説!)カレンシー(貨幣)にあらゆる『富』が直接的に集中する。流動そのものがあらゆる価値物・あらゆる富を代表するとは全体主義の特質そのものではないか。」(pp.82-3)
「こうして全体主義の特質を描き出してみれば、激しく且つ絶え間ない流通・流動がすべての形態、対象、モノを呑み込んでいく世界であり、その特質を中心としている限り、その社会は、外見的旗印は何であれ、破局の三十年代を『創立期』とする『創造的』な古典的全体主義とは次元と形式を異にした、新しい全体主義ではないのか。その『流動』の模様は、――つまり全ての富の趨勢の表現は――自然な形の痕など些かも留めない『記号』の抽象的操作の中にだけある(そこには暴力から操作への進化を内に含んだ全体主義史上のの洗練過程さえ窺われる)。」(p.83)
「日本の全体主義化の特徴は、(略)『壮大な新しいものは良いものだ』という態度によって、史上最新の悪をも善として追求し、あるいは模倣し、あるいは加工し、あるいは『高能率化』して自己社会のなかに全体主義を作り上げたことにある。」(p.86)
「『部分』はどれも『部分』であり、在りうる差異は『ヨリ大切な部分』だとか(略)相対的な違いだけであって、『この一部分に過ぎないものが全体そのものなのだ』といったような特権的部分はそもそも存在しない。全体とは色々な部分の相互関係の全局面のことであって、そして『相互関係の全局面』を一つのものや制度や人物や集団や等々で置き換えることはできない。部分には部分の不可侵の存在根拠があり、相互性は何処までも相互性として、関係は何処までも、いくつかのものの間の関係として、単一化できないまま存在する。だからそれらの『全局面』は永久に探求過程そのものとして残り続ける。だから大事なのだ。『部分は部分だ』という、この簡単な常識を忘れるところに全体主義の骨がらみの病気が伏在しているであろう。」(pp.89-90)
「三つの全体主義の時代」
「三つの異なった形態の全体主義が二十世紀史を貫徹している(略)ひとつは戦争における全体主義。これは第一次世界大戦。飛行機が上から爆弾を落とし、兵士と市民との区別を失わせた。二番目がそれを受け継いだ第二次大戦前夜のナチズムを典型とする、スターリニズムもそれに付き従った、要するに追放と拘留、強制収容を無限に繰り返していく体制ですね。そういう全体主義。第三は現在進行中の安楽への全体主義、あるいは市場経済への全体主義。これが三つの異なった形をとった全体主義である。」(p.197)
「[徐京植の言葉]先生の言われる三つの全体主義のうち前の二つは苦痛とか拘束とか、飢餓とか死とか、そういう恐怖を与えることで成り立っている全体主義ですね。(略)その一方、安楽全体主義の場合は人間の欲望を、うまいものを喰いたいとか長生きしたいとかだけじゃなく、一見もっと文化的な欲求まで、平和に静かな環境で暮らしたいというような欲求までもが全体主義的に収攬されている。
[藤田の言葉]割り当てられている……ホロコースト風に一括処理で。『十把一からげ』の方法で。そこが全体主義なんです。
[徐京植の言葉]つまり、安楽全体主義は前二者の全体主義が裏返ったようなものとしてあるように思います。たとえて言えば、人間はむかしからうまいものを喰うための努力もしていたでしょうけど、そのことが自己目的化したり、うまいものを喰いたいという欲望を恥ずかしげもなく賛美したりすることに対しては、ある種の抑制が働いていたんじゃないかと思います。それが宗教によるものか、他のより本源的なものによるかは分かりませんが、王侯貴族や上層市民のやりたい放題の放埒は、庶民からみれば憧れとともに軽蔑や嘲笑の対象でもあった。ところが現代の安楽全体主義のもとでは、こういう抑制がすべて取り払われた……。」(pp.198-9)
「[徐京植の言葉]ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を読んでなるほどと思ったのは、ナショナリズムが人間の〈死〉を取り込むということ、〈死〉はマルクス主義が取り扱う目録からもこぼれている。そこをナショナリズムが回収するという指摘でした。しかし、一方でわたしは、ある死に方のイメージによってわれわれは共同性を担保しているという側面があるとも思います。たとえば(略)小説『太陽の男』に描かれた死こそがまさにパレスチナ人そのもののアイデンティティーを文学的に形象化している。このような二面性が見落とされてはならないと考えました。先生の言われる安楽全体主義では、もう戦争は終わった、死ななくてもいいんだ、これからは快楽を追求し生を謳歌していいんだ、そう思った瞬間に、その生を商業資本主義が収攬してしまったということになるんでしょうか。」(p.200-1)
「『魔術からの解放は急速に進んでおり、古代的な倫理的価値はあらゆる場所で哀れなほどに粗末に扱われ、食い物にされて、まさに雲散霧消しつつある。』古代的な倫理的価値ってのは自分の祖国のために死ぬってことですよね、都市国家のために死ぬっていうことです。『第二次大戦から以降の冷徹な効率性は』これが商業主義のことです。『効率性はまさに「現実的な見方」であることを自負したが、その代わりにこの効率性は、いわゆる「幻想」にとらわれることを恐れる個人の気持ちとかイデオロギー的および宗教的、あるいは伝統的な「上部構造」をなきものにした。』幻想にとらわれることを恐れちゃあいけないんだよね、個人は。幻想にとらわれるのが個人のひとつの権利なんだから。『その結果、人間の生命はもはや犠牲にされるといわれるものではなく、「消される」と表現されるようなものになったのである。我々はまさに、兵士の死に対して、その失われた生命の穴埋めとなる情緒的な等価物を失いつつあるのだ。神であれ、王であれ、「祖国」であれ、「人間性」を包含する観念が、兵士の戦死から(略)とりのぞかれれば、それはまた、自己犠牲の高貴な観念が奪われることも意味するであろう。』自己犠牲ってのもなくなったんだ。『それは、血も涙もない殺戮となるか、もっと悪い場合には、祭日の雑踏での交通事故と変わらない政治的価値しかもたなくなるのである。』これが現代の全体主義の死に方だ。その前の段階の死に方との間の、この対極性の中にある一貫性は、死を大事にしないということである。死を施設の中で、ガス室であるかホスピタルであるか知らんけど……。」(pp.202-3)
「[徐京植の言葉]在日朝鮮人は随分もだえたり痙攣したりしているように見えても、世界は在日朝鮮人のような連中だらけなんですからね。そういう連中が累々たる屍を積み重ねながら、やはり言葉を発し作品を残している。在日朝鮮人はそういうものを産みだし得たのか。やはり、そこには日本との相互浸透という問題もあるんですよね。
[藤田の言葉]そうそう。それが大きいですよね。日本が安楽への全体主義の最先端に立ったのはなぜかというと、そこの対立関係というか断絶関係っていうのを明確にしなかったから。アメリカなんかは明確にする。だから暴動になっちゃう。」(p.207)
『自由からの逃走』
著者は、社会心理学者のエーリッヒ・フロム。1941年の作品。東京創元社。
「本書の主題は、次の点にある。すなわち近代人は、個人に安定をあたえると同時にかれを束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、また感覚的な諸能力の実現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していないということである。自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。」(p.4)
「どこかに帰属しないかぎり、また生活になんらかの意味と方向とがないかぎり、人間はみずからを一片の塵のように感じ、かれの個人的な無意味さにおしつぶされてしまうであろう。かれは自分の生活に、意味と方向とをあたえてくれるどのような組織にも、自分を結びつけることができず、疑いでいっぱいになる。そしてけっきょくはこの疑いのために、かれの行動する力、すなわち生きる力を失うのである。」(p.28)
「他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由になればなるほど、そしてまたかれがますます『個人』となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである。」(p.29)
「比喩的にいえば、個人が外界に結びつけられている臍の緒を、完全にたちきっていない程度に応じて、かれには自由はないのである。しかしこれらの絆は、かれに安定感や帰属感や、またどこかに足をつけているという感じをあたえる。私は、個性化の過程によって、個人が完全に解放される以前に存在するこれらの絆を、『第一次的絆』と呼ぼうと思う。それは人間の正常な発達の一部であるという意味で有機的である。そこには個性はかけているが、安定感と方向づけとがあたえられている。子どもを母親に結びつけている絆、未開社会の成員をその氏族や自然に結びつけている絆、あるいは中世の人間を教会やその社会的階級に結びつけている絆は、この第一次的絆にほかならない。ひとたび個性化が完全な段階に達し、個人がこれらの第一次的絆から自由になると、かれは一つの新しい課題に直面する。すなわちかれは、前個人的存在の場合とは別の方法で、みずからに方向をあたえ、世界のなかに足をおろし、安定を見つけださなければならない。」(pp.34-5)
「子どもが成長し、第一次的絆が次第にたちきられるにつれて、自由を欲し独立を求める気持ちが生まれてくる。しかしこの自由と独立を求めることが、どのような運命になるかは、個性化の進む過程の弁証法的な性質を理解して、はじめて解ることである。この過程には二つの側面がある。その一つは子ともが肉体的にも感情的にも精神的にも、ますます強くなっていくということである。これらのおのおのの領域において、強さと積極性が高まっていく。と同時にこれらの領域がますます綜合化されていく。意志と理性とによって導かれるひ一つの組織された構造が発生する。この組織され綜合されたパースナリティ全体を自我と呼ぶならば、個性化のおし進められていく過程は、一面、自我の力の成長ということもできる。」(p.38)
「個性化の過程の他の面は、孤独が増大していくことである。第一次的絆は安定性をもたらし、外界との根本的な統一をあたえてくれる。子どもはその外界から脱けだすにつれて、自分が孤独であること、すべての他人から引き離された存在であることを自覚するようになる。この外界からの分離は、無力と不安との感情を生みだす。外界は個人的存在と比較すれば、圧倒的に強力であって、往々にして驚異と危険にみちたものである。ここに、個性をなげすてて外界に完全に没入し、孤独と無力の感情を克服しようとする衝動が生まれる。しかしこれらの衝動やそれから生まれる新しい絆は、成長の過程でたちきられた第一次的絆と同一のものではない。ちょうど肉体的に母親の胎内に二度と帰ることができないのと同じように、子どもは精神的にも個性化の過程を逆行することはできない。もしあえてそうしようとすれば、それはどうしても服従の性格をおびることになる。しかもそのような服従においては、権威とそれに服従する子どもとのあいだの根本的な矛盾は、けっして除かれない。子どもは意識的には安定と満足とを感ずるかもわからないが、無意識的には、自分の払っている代価が自分自身の強さと統一性の放棄であることを知っている。」(p.39-40)
「しかし服従が孤独と不安とを回避するただ一つの方法ではない。もう一つ、解きがたい矛盾をさける唯一の生産的な方法がある。すなわち人間や自然にたいする自発的な関係である。それは個性を放棄することなしに、個人を世界に結びつける関係である。この種の関係――そのもっともはっきりしたあらわれは、愛情と生産的な仕事である――は全人格の統一と力強さにもとづいている。」(p.40)
「分離と個性化の進む一歩一歩が、自我の成長と対応しているならば、その子どもの発達は調和のとれたものとなろう。しかしながら、実際にはこのようなことは起らない。個性化の過程は自動的に起るのに反し、自我の成長は個人的社会的な理由で、いろいろと妨げられる。この二つの傾向のズレが、たえがたい孤独感と無力感とを生みだし、そしてこの孤独感と無力感とが、今度は逆にのちに逃避のメカニズムとしてのべるような、心理的メカニズムを生みだすことになる。」(p.41)
「第一次的絆は、原始人の十分な人間的成長を妨げ、理性や批判力の発達を阻害している。それは自己や他人を、ただ氏族という社会的宗教的共同体の一員であるという点で知りあうだけで、けっして人間存在として認めあうのではない。いいかえれば、それは自由な自律的生産的な個人としての成長を妨げる。しかしこれはその一面であって、他の面もある。自然や氏族や宗教とのこの合一は個人に安定性をあたえる。かれは一つの構成された全体に帰属し、そこに足をつけており、明白な確固とした地位をもっている。かれは飢えや抑圧に苦しむかもしれないが、あらゆる苦しみのなかでもっともつらい完全な孤独と疑いとに苦しむことはない。」(p.44)
「われわれは、人間がかれになにをなすべきで、なにをなすべきでないかを教えるような、外的権威から解放されて、自由に行動できるようになったことを誇りに思っている。しかしわれわれは世論とか『常識』など、匿名の権威というものの役割を見落としている。われわれは他人の期待に一致するように、深い注意を払っており、その期待にはずれることを非常に恐れているので、世論や常識の力はきわめて強力となるのである。いいかえれば、われわれは外にある力からますます自由になることに有頂天になり、内にある束縛や恐怖の事実に目をふさいでいる。」(p.122)
「ルッターの教えの主要な点の一つは、人間の精神が邪悪であること、人間の意志や努力が無駄であることを強調したところにある。カルヴァンもまた、同じように人間の罪悪性を強調し、人間は徹底的にその自尊心を否定しなければならないこと、さらに、人間生活はひたすら神の栄光を目ざすものであって、けっして自分自身の栄光を目ざすものではないということが、かれの体系全体の中心思想であった。こうして、ルッターとカルヴァンは、近代社会で人間がとらなければならない役割への、心理的な準備をあたえたのである。すなわち、自分自身の存在が無意味であると感ずることと、自分の目的ではない目的のために、ひたすら自己の生活を従属させようと用意することである。ひとたび人間が、正義も愛ももたない神の栄光のために、ただその手段になろうという心構えを作れば、それは経済的な機械に――あるいはときには一人の『指導者』に――たいする召使いの役割を受けいれるように、十分準備することになるのである。」(pp.127-8)
「客観的には自己以外の目的に奉仕する召使いとなりながら、しかも主観的には、自分の利益によって動いていると信じている事実を、一体われわれはどのようにして解決できるであろうか。プロテスタンティズムの精神と、近代的な利己主義の信条とをどのようにわかいさせることができるであろうか。」(p.130)
「個人はますます孤独に、ますます孤立するようになり、自分のそとにある圧倒的に強力な力にあやつられる、一つの道具となってしまった。かれは『個人』となったが、途方にくれた不安な個人となった。このかくれた不安が、あらわにでてくるのを抑えるのに役立つような条件はあった。まず第一に、それは自我をささえる財産の所有である。(略)衣服や家屋はかれの肉体の一部であると同様に、かれの自我の一部分でもあった。(略)自我をささえる他の要素は名声と権力とであった。(略)他人から尊敬されたり、他人を支配したりすることは、財産があたえた支えをさらに強化し、不安な自我の後楯となった。財産や社会的名声をほとんどもたない人間にとっては、家族が個人的威光をあたえる源であった。(略)かれは妻や子供をしたがえ、舞台の中心となることができた。(略)家族のほかに、国家的な誇り(ヨーロッパではしばしば階級的誇り)がまた重要な意味をあたえた。個人的には無に等しくても、自分の属している集団が、同じような他の集団よりも優れていると感ずることができれば、それを誇ることができた。(略)支えとしての要素はたんに不安や懸念を埋めあわせることを助けたにすぎない。それらは不安や懸念を根絶させたのではなく、それらをおおったのである。そうして個人が意識的に安定を感ずるようにしむけたのである。しかしこの意識的な安定感は表面的なもので、支えが存在するかぎり、持続するものにすぎなかった。」(pp.137-8)
「一九二三年のドイツのインフレーションや、一九二九年のアメリカの恐慌は、不安の感情を増大し、自分の努力で前進していく希望や、成功の無限の可能性を信ずる伝統的な信念をこなみじんにしたのである。」(p.140)
「かれ[一般の普通人]は『……からの自由』の重荷にたえていくことはできない。かれらは消極的な自由から積極的な自由へと進むことができないかぎり、けっきょく自由から逃れようとするほかないであろう。現代における逃避の主要な社会的通路はファッシスト国家におこったような指導者への隷属であり、またわれわれ民主主義的国家に広くいきわたっている強制的な画一化である。」(pp.150-1)
「よく適応しているという意味で正常な人間は、人間的価値についてはしばしば、神経症的な人間よりも、いっそう不健康であるばあいもありうるであろう。かれはよく適応しているとしても、それは期待されているような人間になんとかなろうとして、その代償にかれの自己をすてているのである。こうして純粋な個性と自然性とはすべて失われるであろう。これにたいして、神経症的な人間とは、自己のためのたたかいにけっして完全に屈服しようとしない人間であるということもできよう。」(p.157)
「自由からの逃避の最初のメカニズムは、人間が個人的自我の独立をすてて、その個人にはかけているような力を獲得するために、かれの外がわのなにものかと、ありはなにごとかと、自分自身を融合させようとする傾向がある。いいかえれば、失われた第一次的絆のかわりに、新しい『第二次的』な絆を求めることである。このメカニズムは、服従と支配への努力という形で、はっきりとあらわれる。あるいはむしろ、(略)マゾヒズム的およびサディズム的とでもいいうるような努力のうちに、あらわれる。」(p.159-60)
「マゾヒズム的な努力としてもっともしばしばあらわれる形は、劣等感、無力感、個人の無意味さの感情である。(略)かれらは意識的にはこの感情を不満に思い、それからのがれようとしているが、無意識的には、かれらの内部にひそむある力にかられて、自分を無力な、重要でないものと感じていることがわかる。かれらは自分を肯定しようとせず、(略)外がわの力の、現実的な、あるいは確実と考えられる秩序に服従しようとする。」(p.160)
「このマゾヒズム的な傾向は、しばしばただ単純に病的で非合理的だと感じられている。しかしその傾向は合理化されることがいっそう多い。マゾヒズム的な依存は愛とか忠誠と思われ、劣等感は実際の欠点の適切な表現と思われ、なやみはすべて変化しない環境のせいだと思われる。」(p.161)
「このマゾヒズム的傾向とならんで、その正反対のもの、すなわちサディズム的傾向が、だいたい同じような性格のもののうちにみられる。」(pp.161-2)
「サディズム的傾向は、あきらかな理由から、社会的にはずっと害のないマゾヒズム的傾向よりも、いっそう無意識的であり、いっそう合理化されることが多い。しばしばそれは、他人にたいする過度の善意、過度の配慮の結果であるとして、おおいかくされる。」(p.162)
「サディズム的人間と、かれのサディズムの対象との関係において、つぎのことがみのがされることが多い。(略)それはサディズムの対象へのかれの依存である。(略)サディストはかれが支配する人間を必要としている。(略)というのはかれの強者の意識は、かれがだれかを支配しているという事実に根ざしていいるから。」(p.163)
「マゾヒズム的およびサディズム的努力のいずれもが、たえがたい孤独感と無力感とから個人を逃れさせようとするものである。」(p.169)
「マゾヒズム的努力のさまざまな形は、けっきょく一つのことをねらっている。個人的自己からのがれること、自分自身を失うこと、いいかえれば、自由の重荷からのがれることである。このねらいは、個人が圧倒的に強いと感じる人物や力に服従しようとするマゾヒズム的努力のうちにはっきりあらわれる。」(p.170)
「もし個人がこのようなマゾヒズム的努力を満足させる文化的な型をみつけることができれば(たとえばファッシストのイデオロギーにおける『指導者』への服従のように)、かれはこの感情をともにする数百万のひとびとと結びついているように感じて、安定感をうるのである。」(p.171)
「後者[合理的行為]の場合は、結果は行為の動機に対応する。ひとはある結果をえようとして行為する。神経症的努力においては、ひとは強迫によって行為する。その強迫はたえがたい状態からのがれたいという本質的に否定的な性格をもっている。この努力はただかりそめの解決の方向をもつだけである。じっさいには、その結果はかれがのぞんだことと矛盾する。」(p.172)
「個人的自我を絶滅させ、たえがたい孤独感にうちかとうとする試みは、マゾヒズム的努力の一面にすぎない。もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、良心でも、あるいは肉体的強制でも、なんでもよい。ゆるぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力の部分となることによって、ひとはその力と栄光にあやかろうとする。ひとは自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げすて、個人としての統一性を失い、自由をうちすてる。しかしかれは、かれが没入した力に参加することによって、新しい安全と新しい誇りとを獲得する。またかれは疑惑という責苦に抵抗する安全性も獲得する。マゾヒズム的人間は、外部的権威であろうと、内面化された良心あるいは心理的強制であろうと、ともかくそれらを主人とすることによって、決断するということから解放される。(略)かれはまたかれの生活の意味がなんであり、かれがなにものであるかという疑惑からも解放される。このような問題は、かれが結びついている力との関係によって答えられる。かれの生活の意味やかれの自我の同一性は、自身が屈服したより大きな全体によって決定されるのである。」(p.174)
「自己は『第二次的絆』のなかに安定感を求めようとする。それはマゾヒズム的絆とも呼ぶべきものであろうが、しかしこの試みは成功するはずがない。(略)根本的にはかれはかれの自己喪失になやむ無力なアトムにすぎない。かれと、かれがしがみつく力とは、けっして一つになることはない。」(p.175)
「心理学的意味における共棲とは、自己を他人と(あるいはかれの外側のどのような力とでも)、おたがいに自己自身の統一性を失い、おたがいに完全に依存しあうように、一体化することを意味する。一方[マゾヒズム]では私は自己の外側の力のなかに解消する。私は私を失う。他方[サディズム]では私は自己を拡大し、他人を自己の一部にするが、そのさい私は独立した個人としては欠けていた力を獲得するのである。他人と共棲的な関係にはいとうする衝動へかりたてられるのは、自己自身の孤独感に抵抗できないからである。こうしてマゾヒズム的傾向とサディズム的傾向とがまじりあっているということが証明される。それらは表面的に矛盾しているが、本質的には同じ要求に根ざしている。ひとびとはサディズム的であるか、あるいはマゾヒズム的であるのではない。共棲的複合体には、つねに振子のように、能動的な側面と受動的な側面があり(略)」p.176)
「もし愛とは、ある特定の人物の本質にたいする、熱情的な肯定であり、積極的な交渉を意味するのであれば、またもし愛とは当事者二人の独立と統一性とにもとづいた人間同士の結合を意味するのであれば、マゾヒズムと愛とは対立するものである。もしそれが、一方の側の服従と統一性の喪失とにもとづいているのならば、いかにその関係を合理化しようと、それはマゾヒズム的な依存にほかならない。サディズムもまたしばしば愛のよそおいのもとにあらわれる。」(p.179)
「サド・マゾヒズム的衝動が支配的であるような人間(略)は必ずしも神経症的であるわけではない。(略)ドイツやその他ヨーロッパ諸国の、下層中産階級の大部分には、このサド・マゾヒズム的性格が典型的に見られる。(略)ナチのイデオロギーがもっとも強く訴えたのは、まさしくこの種の性格構造であった。(略)私はサド・マゾヒズム的性格という言葉を使うかわりに、『権威主義的性格』と呼ぶことにしたい。(略)かれは権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時にかれはみずから権威であろうと願い、他のものを服従させたいと願っている。」(pp.181-2)
「最近になって、『良心』の重要性は失われてきた。個人生活において力をふるっているのは、いまや外的権威でも内的権威でもないようである。(略)あらわな権威のかわりに、匿名の権威が支配する。そのよそおいは、常識であり、科学であり、精神の健康であり、正常性であり、世論である。それは強制せず、おだやかに説得するようにみえる。(略)匿名の権威は、あらわな権威よりも効果的である。というのは、ひとはそこにかれが服従することが期待されているような秩序があろうなどとは想像もしていないから。」(pp.185-6)
「すべての権威主義的思考に共通の特質は、人生が、自分自身やかれの関心や、かれの希望をこえた力によって決定されているという確信である。」(p.189)
「権威主義的哲学においては、平等の観念は存在しない。(略)かれにとっては、この世界は力をもつものともたないもの、優れたものと劣ったものとからできている。サド・マゾヒズム的追求にもとづいて、かれはただ支配と服従だけを経験するが、けっして連帯は経験しない。性の差別であれ、人種の差別であれ、けっきょく優越と劣等しるしでしかない。」(p.191)
「社会的にもっとも重要な意味をもつ、もう一つのメカニズム(略)は、現代社会において、大部分の正常なひとびとのとっている解決方法である。簡単にいえば、個人が自分自身であることをやめるのである。すなわち、かれは文化的な鋳型によってあたえられるパースナリティを、完全に受けいれる。そして他のすべてのひとびととまったく同じような、また他のひとびとがかれに期待するような状態になりきってしまう。『私』と外界との矛盾は消失し、それと同時に、孤独や無力を恐れる意識も消える。(略)個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれのはらう代価は高価である。すなわち自己の喪失である。」(pp.203-4)
「感情や思想が外部からもたらされているのに、しかもそれがどのようにして、主観的には自分自身の感情や思想のように経験されるのであるか(略)」(p.204)
「人間は自分の精神的行為の自発性を確信しているとしても、じっさいには、それはある特殊な状況のもとで、だれか他の人間の影響に由来しているということである。(略)われわれの思考や感情や意志の内容が外部から導入されたものであり、純粋なものではないという事実は非常に顕著であって(略)」(p.208)
「われわれの決断の大部分は、じっさいにはわれわれ自身のものではなく、外部からわれわれに示唆されるものである。決断を下したのは自分であると信ずることはできても、じっさいには孤独の恐ろしさや、われわれの生命、自由、安楽にたいする、より直接的な脅威にかりたてられて、他人の期待に歩調を合わせているのにすぎない。」(p.218)
「ひとびとが決断をくだしたり、なにかを求めたりするとき、じっさいにはかれらがしようとしていることを、欲し『なければならなく』なるような、内的外的な圧力にしたがっているのにすぎないのである。事実、人間の決断という現象を観察すると、慣習や義務や単なる圧力にしたがっているのにすぎないことを、『みすからの』決断とみなしている誤りが、いかに広くおこなわれているかがわかる。」(p.220)
「思考や感情や意志について、本来の行為がにせの行為に代置されることは、遂には本来の自己がにせの自己に代置されるところまで進んでいく。本来の自己とは、精神的な諸活動の創造者である自己である。にせの自己は、実際には他人から期待されている役割を代表し、自己の名のもとにそれをおこなう代理人にすぎない。たしかに、ある人間は多くの役割を果たし、主観的には、各々の役割においてかれは『かれ』であると確信することができるであろう。しかしじっさいには、かれはこれらすべての役割において他人から期待されていると思っているところのものであり、(略)本来の自己はにせの自己によって、完全におさえられている。」(p.224)
「自己の喪失とにせの自己の代置は、個人を烈しい不安の状態になげこむ。かれは本質的には、他人の期待の反映であり、ある程度自己の同一性を失っているので、かれには懐疑がつきまとう。このような同一性の喪失から生まれてくる恐怖を克服するために、かれは順応することを強いられ、他人によってたえず認められ、承認されることによって、自己の同一性を求めようとする。」(p.225)
「ナチのイデオロギーがなぜそんなに下層中産階級に共感をよびおこしたかという問題の答は、下層中産階級の社会的性格のうちに求められなければならない。(略)下層中産階級にはその歴史を通じて特徴的な幾つかの特性があった。すなわち、強者への愛、弱者に対する嫌悪、小心、敵意、金についても感情についてもけちくさいこと、そして本質的には禁欲主義というようなことである。かれらの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人にたいしてはせんさく好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を道徳的公憤として合理化していた。かれらの全生活は心理的にも経済的にも欠乏の原則にもとづいていた。」(p.234)
「戦後いっそう急速に衰退したのは下層中産階級の経済的地位ばかりでなく、その社会的威信もそうであった。戦前は労働者よりもましなものとして自分を感ずることができた。革命後、労働者階級の社会的威信がいちじるしく向上し、その結果下層中産階級の威信が相対的に失墜した。もはやみおろすべきなにびともなくなり、小さな商店主やその同類の生活において、常にもっとも貴重な資産の一つであった特権も失われた。これらの要因に加えて、中産階級の安定の最後の要塞である家族また粉砕されてしまった。戦後の発展は、おそらく他の国々よりもドイツにおいてはいっそう強く、父親の権威と中産階級の古いモラルの権威を動揺させた。」(p.237)
「増大する社会的不満は外部へ反射することになり、それは国家社会主義の重要な源泉となった。すなわち旧中産階級の経済的社会的運命を認識するかわりに、その成員は自己の運命を意識的に国家と関係させて考えた。国家の敗北とヴェルサイユ条約は現実の不満――社会的不満――がすりかえられるシンボルとなった。(pp.238-9)
「ヴェルサイユ条約にたいする憤りは下層中産階級のうちに根ざしていた。そして国家的公憤は社会的劣等感を国家的劣等感に投影する一つの合理化であった。」(p.239)
「大戦後、独占資本主義によっておびやかされたのは中産階級、とくに下層中産階級であった。こうして中産階級の不安とそこから生ずる憎悪が生まれた。そして中産階級は恐慌の状態におちいり、無力な人間を支配しようとする渇望と、隷属しようとする渇望でいっぱいになった。」(p.242)
「『指導者』は第一番に権力を享受する人間であるが、大衆もけっしてサディズム的満足を奪われていなかった。ドイツ内の人種的政治的少数者や、また最後には、弱小であるとか衰亡しつつあるとかされる他の諸国民が、大衆を満足させるサディズムの対象である。ヒットラーとかれの官僚は、ドイツの大衆を支配する力を享受するが、これらの大衆は他の国民を支配する力を享受するように、また世界征覇の野望にかりたてられるように教えられる。」(p.247)
「サド・マゾヒズム的性格に非常に典型的な、強者にたいする愛と無力者にたいする憎悪は、ヒットラーやかれの追随者の非常に多くの政治的行動を説明する。(略)ヒットラーはワイマール共和国を弱体であるが故に憎悪し、工業や軍隊の指導者は力を有しているが故にこれを尊敬した。」(p.253)
「ナチのイデオロギーや実践のマゾヒズム的側面は、大衆をみるともっとも明白である。大衆はくりかえしくりかえし、個人はとるにたらず問題にならないと聞かされる。個人はこの自己の無意義さを承認し、自己をより高い力のなかに解消して、このより高い力の強さと栄光に参加することに誇りを感じなければならない。」(p.254)
「マゾヒズム的憧憬はヒットラー自身にもみいだされる。かれにとっては、服従すべき優越した力は神、運命、必然、歴史、自然である。じっさいにはこれらの言葉はかれにとってすべてほぼ同じような意味、すなわち圧倒的に強い力の象徴という意味をもっている。」(pp.256-7)
「近代人は、(略)あまりにも多くの欲望をもっているように思われ、かれの唯一の問題は、自分がなにを欲しているかは知っているが、それを獲得することはできないということであるように思われる。(略)しかも大部分のひとは、この行為の前提、すなわちかれらが自分の本当の願望を知っているという前提を疑問に考えることはない。かれらは自分の追求している目標が、かれら自身欲しているものであるかどうかということを考えない。」(p.277)
「近代人は自分の欲することを知っているというまぼろしのもとに生きているが、実際には欲すると予想されるものを欲しているにすぎないという真実(略)」(p.278)
「われわれは古い明らさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気がつかない。われわれはみずから意志する個人であるというまぼろしのもとに生きている自動人形となっている。」(p.279)
「社会的性格は個人のもっている特性のうちから、あるものを抜きだしたもので、一つの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、その集団に共同の基本的経験と生活様式の結果発達したものである。」(p.306)
「ある一定の社会的状態において、人間のエネルギーがひとつの生産的な力として、どのように形成され作用するかを理解しようと思えば、そのときには社会的性格がわれわれの主要な関心となってくる。」(pp.306-7)
「社会的性格という概念は、社会過程を理解するための鍵となる概念である。性格というのは(略)人間のエネルギーが一定の社会の特殊な存在様式にたいし、人間の欲求がダイナミックに適応した結果、形成されるものである。しかし性格は、逆に個人の思考や感情や行動を決定する。」(p.307)
「ことなったパースナリティをもつ二人の人間が、たとえば愛について語るばあい、その言葉は同じであっても、その意味はかれらの性格構造の差異によって、まったくことなっている。」(p.308)
「ことなった社会や、また同じ社会のなかでもことなった階級は、それぞれ特殊な社会的性格をもっていて、そえにもとづいてことなった観念が発達し強力となる。」(p.308)
「プロテスタントやカルヴィニズムの教義を分析して明らかになったことは、これらの思想が新しい宗教の帰依者のあいだで強力な力となったのは、それらの思想が、それを教えられたひとびとの性格構造のなかに存在していた、欲求や不満に訴えたからだということである。いいかえれば、思想が強力なものとなりうるのは、それがある一定の社会的性格にいちじるしくみられる、ある特殊な人間的欲求に応える限りにおいてである。」(p.310)
「性格の特性は、(略)純粋に心理的な機能をもっている。そのパースナリティから金をためたいという欲望をもつ人間は、そのように行動できれば、深い心理的な満足を感じる。」(pp.311-2)
「正常な人間にたいする性格の主観的機能は、かれをして実際の見地から必要なことに即応して行動せしめるということであり、またその行動によってかれに心理的な満足をあたえるということである。」(p.312)
「性格が社会的要求にダイナミックに適応していくことによって、人間のエネルギーは、(略)一定の型に形成され、特殊な経済的要求に応じて行動するようにしむけられていく。こうして、近代人は外から強いられて一生懸命に働くのではなく、仕事にたいする内的な強制によって動かされている。(略)社会的性格は外的な必要を内面化し、ひいては人間のエネルギーをある一定の経済的社会組織の課題に準備させるのである。」(p.313)
「一度ある欲求が性格構造のうちに発達すると、これらの欲求にそった行動はどのようなものでも、心理的にも、また物質的成功という点から実際的にも、同時に満足をあたえられる。社会が個人にこれら二つの満足を同時にあたえるとき、心理的な力が社会構造を強化する状況がみいだされる。」(p.313)
「社会的性格は、社会構造にたいして人間性がダイナミックに適応していく結果生まれる。社会的条件が変化すると社会的性格が変化し、新しい欲求と願望が生まれる。これらの新しい欲求が新しい思想を生み、ひとびとにそれらの思想をうけいれやすいようにする。これらの新しい思想が、こんどは新しい社会的性格を固定化し強化し、人間の行動を決定する。いいかえれば、社会的条件は性格という媒体を通して、イデオロギー的現象に影響をあたえる。」(pp.326-7)
『近代性の構造―「企て」から「試み」へ』
著者は、社会哲学者の今村仁司。平成6(1994)年の作品。講談社選書メチエ。
「原理をつくり、根拠を立て体系化していくという方法的『企て』が近代の精神構造の特徴であるが、その内部に異物排除的な性格を持つことは気づかれていない。」(p.55)
「近代は企てたり、プロジェクト(Project)していくことが中心で、それが方法主義につながる。しかし、われわれが方法主義でやると、どうしても枠に入らないものは叩きだしてしまい、存在しないものと仮定して処理をする。これが排除になるのである。たとえ小さいものでもきわめて重要なものがあるが、そういうものを視野におさめて考えていくことは、『あいまいさ』を代価として支払う覚悟をしなくてはならない。」(p.55)
「人間の現実には、またおそらくは自然の現実にも、純粋なる存在など存在しない。真実のあり方というのはおそらく雑種的だろうと思う。その雑種的コンクリートネス(concreteness・具体的なもの)を視野におさめるためには、正確さをある程度犠牲にせざるをえない。むしろ真実を守るためには、近代的な意味での正確さをギブアップする覚悟を持つべきかもしれない。」(p.56)
「とくに政治が体系主義や方法主義で運営されるようになると、雑種の排除が全面化してしまう。」(p.57)
「市民的人間の倫理とエートスがまだ十分に合理的でない、あるいは自己立法的でないから、差別と排除がおきる、のではない。近代世界がまだ十分に合理的ではないから、排除と差別が起きるのではない。反対に、近代世界が十分に『合理的である』から、近代的市民の内面があまりにも十分に『自己規律的』・『自己立法的』であるから、かえって近代性は排除的・差別的なのだ。」(p.189)
「スミス=カント的自律性と自立性は『経験的我』を『法』にもとづいて徹底的に『訓練し』『鍛え上げて』、より高度な『純粋な我』へと上昇させていくことである。いいかえれば、近代人の内部は分裂しており、『純粋な我』が『不純で経験的な我』を『管理する』という、いわば『自我の階級構造』を、成立の当初からかかえている。しかし『純粋我』が『経験我』を管理し統制することのなかには、できれば『経験我』(身体と欲望をもつ我)を抹殺したいという欲望がひそかに働いている。近代的人間は、自分自身の内面で、排除と差別の構造を、いわば毎日体験しているのだ。こういう人間群が、相互に対面するとき、相互に相手を『物体化』し、それらを計算的に処理するだけでなく、場合によっては死にいたるまでの排除に通ずることがある。少なくともその回路を切断する歯止めは近代思想にはない。自己訓練という原理が、排除と差別の原理でもあるからだ。」(p.190)
「原理的なところでは、同質化することが原理的に不可能なヘテロジーニアス(異質・heterogeneous)な諸個人あるいはエスニシティー(民族性・ethnicity)というものを、同質的な市民へと作り換えるという、そういう機能を果たしたのが近代の国民国家だったということである。国家は、ある意味では、無理にでも、異質的な諸個人を同質的な諸個人に作り変えていく。そのことが、国家の働きそのものであるといわざるをえないし、それが『幻想性』を生む一つの根拠になっているのだ。そこを原理的に追及していくと排除の問題が出てくる。」(p.199)
「一般に、集団を作って、秩序を作り上げていく場合には、異質性の切り取りということは不可避だということはおさえておかなければならない。」(p.200)
「近代国民国家は、一方では対等な人間同士の関係をうたいながら、実質的には、(略)非対等な人間群を分類する装置にもなっていく。すなわち、同一化可能な人間は受け入れるが、同一化しにくい人間は排除するということである。どの人間がアクセプタブル(acceptable)であるか、どの人間がそうではないかという、さまざまな人間集団の分類を始めていく。その作業が近代国家の働きでもあったということは、歴史的な事実が示している。」(p.202)
「実際の歴史は、排除のメカニズムがどんどん拡大していく歴史だった。排除の装置というものは、国内だけにかぎらず、むしろ国外でのほうが激しくあらわれるのかもしれない。帝国主義や植民地主義は、内部にあった排除装置の外部化のようなところがある。」(p.205)
「ナチズム、ファシズム、スターリニズムを、単なる『病理』現象として道徳主義的に批判しているだけではどうしようもないのだ。あれは非合理主義的な現象だという、そういういいまわし自体が、ひじょうに不健全に思える。かりに、国民国家が健全に(略)働いたとしても、国家の『健全な』装置そのものが膨大な病理現象の根っこそのものに他ならないという、どうしようもない弁証法的な構図があるということを視野におさめる必要がある。」(p.206)
「たとえ国民国家というものが健全なかたちで成立して、そこに入りさえすればみんな平等なのだというような国家であったとしても、じつはその平等性は、あくまで同質的平等の観念であって、原理上、非常に強い排除の原理で働いている(略)」(pp.206-7)
「多くの人々は、アイデンティティをもつということは重要なことだと考えている。たしかにアイデンティティなしに日々を生きていくことはできないし、集団を秩序あるかたちでつくることもできないことは事実なのだが、その裏の側面をつねに見ておく必要がある。アイデンティティのロジックには、非常に危ないところがあると、絶えずいい続けなければならない。ナショナリズムの問題も、裏を返せば人種差別問題であるということにきづくべきである。」(p.208)
「排除や差別は、負の道徳的現象としてあらわれるとしても、現実には、社会的人間の存在に根づく事柄である。排除や差別は、人々が社会生活を営むかぎり、避けることができない形で、だれもが身にこうむりうる性質のものである。人間の社会性の根源にどっしりとした根をもつもの、それが排除であり差別なのである。かりにわれわれ一人一人が、まことに純度の高い道徳意識をもち、良心堅固な人間であると仮定したとしても(略)、その『よき人間』が、社会生活を営むなかで、各人の意図や良心のありようを越えて、あるいは各人の『よき』意図や道徳心にもかかわらず、他人を排除したり差別したりするのである。」(p.210)
「人間の社会化や社会性が不幸の源泉であるかもしれない、という視座の設定から議論を組み立ててみる試みが、排除や差別の根源に迫る思考の道ではないのだろうか。」(p.211)
「人々が集団のなかで生きているという原事実は、断じて平和的ではない。それは原初の暴力を内包している。ある個人が『現に「そこに」存在する』ことは、他者が『そこに「存在」する』ことを原理上、排除するし、また他者が『現に「そこに」いる』ことを暴力的に排除する可能性がある。『現に「そこに」存在する』(現存在)は、(略)自己の存在をできるかぎり完全に十全に維持し保存しつづけることを意味する。(略)自己保存の力に等しい現存在は、薄明の闇のなかで『場所をあけろ!』と叫ぶ力である。場所をあける力は、特定の空間を暴力的にこじあけて切断線を引くことである。自己の存在の維持と保存は、たえまない切断線を際限なく引きつづけることである。存在すること自体は、このような原初の暴力をはらまざるをえない。」(p.213)
「社会生活は、複数の他者を前提とする。社会生活の根源には、複数の人間的現存在が、原初の暴力によって、相互に排斥しあう関係が見られる。それはふつうの生活の表面からは姿を消しているにしても、存在しないのではなく、潜在しているのである。(略)秩序や制度は、たんにあるのではなくて、原初の暴力に直面し、原初の暴力を抑制する過程で生じてくる。制度や秩序の形成を促すものこそ、人間的現存在の原初的暴力なのである。」(p.214)
「人間は、相互排除の暴力を、任意の他人に集中することで、自分たちにむかっていた暴力を回避する。任意のだれか(略)にむかって、集団的暴力が集中するとき、秩序形成のための排除のメカニズムが働き出す。秩序ある世界とは、無差別の状態(これはしばしばたいていは相互暴力状態であり、無差別な暴力伝染の状態である)のなかに、切断線を入れて、あちら側とこちら側との区別を立てることである。最初の切断線は、任意の他者をくくりだし、任意の他者を排除すべき空間を設定することである。排除された犠牲者の空間が創出されることと、排除される者を除く全員の間に差異の体系が作りだされることとは、同時に生ずる。差異化という秩序体系は、任意の他者(「われわれ」とは異なる第三項)への排除的暴力なしにはありえないのである。第三項排除が社会関係の文法(秩序の規則)の形成を駆動するとは、そうした事態を指す。」(p.217)
「社会関係の秩序を作り、中心をもった『市民的世界』を作りだすことは、犠牲者作りを内にはらんでいることになる。」(p.218)
「第三項としての犠牲者が『任意的』『恣意的』であることは、底知れない恐怖をよびおこす。排除されることの偶然性の経験は、たとえ可能性であっても、人々を不安におとし入れる。(略)こうした恐怖と不安の情動があるがゆえに、ひとたび任意の他人に暴力が集中しはじめるや、人々は激烈な形で集団的暴力に熱中することになりがちである。」(p.218)
「人々は、犠牲者との関係を媒介にして、『排除されなかった好運な者』として互いに承認しあうのである。社会または共同体のメンバーが相互に自己確認するためには、犠牲者作りに共同参加したしるしを必要とするという事実は、社会のなかで生きる人間の基礎的なありかたである。これは(略)社会的存在あるいは人間の社会性ということにつきまとう原事実であり、私たちはそれをありのままに承認するほかはない。」(pp.218-9)
「秩序の再生産過程は、(略)さまざまのレベルで、第三項=犠牲者を製作する過程でもある。」(p.219)
「差別が、個々人の道徳的意識から由来するのでないとすれば、差別は排除のメカニズムの産物であるほかはない。日常的な道徳意識のなかに反映する差別意識は、社会に内在する排除の構造の結果であり、その構造を固めるセメントの役割をする。人間が道徳的でないから差別意識をもつのではなく、逆にたとえ人間が良き道徳心をもっていても、その人は他人を差別することができる。社会関係自身が秩序を維持しようとすれば、排除される第三項を必要とするばかりでなく、犠牲者を作っていることを忘却することもまた不可欠のイデオロギー的契機となるからだ。道徳とは、秩序の内部にある『市民』が犠牲者作りに関与していることを忘却する意識であり、犠牲者の存在を忘れ去る心的機制であるとすらいえる。社会関係の論理は、おのれが排除の暴力から生まれでてきた由来を隠すだけでなく、犠牲者をも隠すという、二重消去の作用をするものだが、人間の道徳意識としてのイデオロギーもこの二重消去を内面化している。」(p.220)
「社会関係は、不断に排除のメカニズムを発動し続けないと、自己保存ができない。秩序の再生産と排除の再生産とは一体なのである。」(p.221)
「近代人の自律性という理念も、内実は、支配すべき身体的自己を規律し訓練する禁欲倫理精神に支えられている。他人に対しても同様な関係が見られる。自己にも他人にも、規律と訓練の視点(略)から対応する近代の思考様式と実践様式は、異物に対して激烈な排除効果をおよぼすのである。」(p.223)
「排除と差別のイデオロギーをとことん追いつめていくと、究極には人間/非人間という切断線が走っていることが露呈してくる。(略)人間/非人間の切断と分類は、文化的なものである。文化的なものとはイデオロイー的なものであるということである。」(p.224)
「近代理性と近代精神は、それ自身の内部努力によって確立したのではない。(略)近代理性と近代精神は、非理性を、内部的にも外部的にも(人間の精神の内面においても、人間社会の制度面でも)、排除し抑圧することで成立した。」(p.225)
「一般に、個々人は、互いに、異者である。異者を同一性の文法にのせて、『秩序のなかでの他者』に作りかえることが、人間社会の余儀ない作法である。[ただ]異者が『同一性の枠内での他者』に切り換えられる(つまり『市民的人間』になる)としても、だれでも自己の内部に、完全には同一化されざる異者をかかえている。普通はこの異者性を抑圧し忘却しているが、根絶することはできない。社会の中で生きる人間は、すでに自分の内部で異者の排除と差別という社会性のドラマと同じドラマを生きているのである。自己の内部の異者に気づくことからはじめるのが、排除と差別の回路を断つ第一歩である。自分の内部の異者を見ることは反省の努力であり、そこでこそ理性の能力が試される。社会の文脈で、犠牲者の位置に立つ覚悟性も、自己内反省のたえざる反復に支えられる。認識の努力と倫理の実践は、ここでは不可分のことである。」(p.233)
『職業としての政治』
著者は、社会科学者のマックス・ヴェーバー。1919年の作品。筆者が読んだのは岩波文庫版。
「近代国家の社会学的な定義は、結局は、国家を含めたすべての政治団体に固有な・特殊の手段、つまり物理的暴力の行使に着目してはじめて可能となる。」(p.9)
「もちろん暴力行使は、国家にとってノーマルな手段でもまた唯一の手段でもない(略)が、おそらく国家に特有な手段ではあるだろう。」(p.9)
「国家とは、ある一定の領域の内部で(略)正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である、と。国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められないということ、つまり国家が暴力行使への『権利』の唯一の源泉とみなされているということ、(略)だから、われわれにとって政治とは、国家相互の間であれ、あるいは国家の枠の中で、つまり国家に含まれた人間集団相互の間でおこなわれる場合であれ、要するに権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である、といってよいであろう。」(pp.9-10)
「国家も、歴史的にそれに先行する政治団体も、正当な(正当なものとみなされている、という意味だが)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。だから、国家が存続するためには、被治者がその時の支配者の主張する権威に服従することが必要である。では被治者は、どんな場合にどんな理由で服従するのか。この支配はどのような内的な正当化の根拠と外的な手段とに支えられているのか。」(p.10-1)
「まず、支配の内的な正当化、つまり正当性の根拠の問題から始めると、これには原則として三つある。第一は「永遠の過去」がもっている権威で、これは、ある習俗がはるか遠い昔から通用しており、しかもこれを守り続けようとする態度が習慣的にとられることによって、神聖化された場合である。古い型の家父長や家産領主のおこなった『伝統的支配』がそれである。」(p.11)
「第二は、ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威で、その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼に基づく支配、つまり『カリスマ的支配』である。」(p.11)
「最後に『合法性』による支配。これは制定法規の妥当性に対する信念と、合理的につくられた規則に依拠した客観的な『権限』とに基づいた支配で、逆にそこでの服従は法規の命ずる義務の履行という形でおこなわれる。近代的な『国家公務員』や、その点で類似した権力の担い手たちのおこなう支配はすべてここに入る。」(pp.11-2)
「もちろん実際の服従で非常に強い動機となっているのは、恐怖と希望――魔力や権力者の復讐に対する恐怖、あの世やこの世での報奨に対する希望――であり、また、それと並んでさまざまな利害関心が考えられる。(略)[ただ]この服従の『正当性』の根拠を問いつめていけば、結局は以上の三つの『純粋』型につき当たるわけである。」(p.12)
「どんな支配機構も、継続的な行政をおこなおうとすれば、次の二つの条件が必要である。一つはそこでの人々の行為が、おのれの権力の正当性を主張する支配者に対して、あらかじめ服従するよう方向づけられていること。第二に、支配者はいざという時には物理的暴力を行使しなければならないが、これを実行するために必要な物財が、上に述べた服従を通して、支配者の手に掌握されていること。ようするに人的な行政スタッフと物的な行政手段の二つが必要である。」(p.14)
「近代国家の発展は、君主の側で、自分と肩を並べている行政権力の自立的で『私的な』担い手に対する収奪が準備されるにつれて、どこでも活発化してきた。この場合の『私的な』担い手とは、行政手段、戦争遂行手段、財政運営手段その他の・政治的に利用できるあらゆる種類の物財を、自分の権利として所有している者のことである。この全過程は独立生産者層が徐々に収奪されていって、資本制経営が発展してくる過程と完全に並行している。結局、近代国家では、政治運営の全手段をうごかす力が事実上単一の頂点に集まり、どんな官吏も自分の支出する金銭、自分の使用する建物・備品・道具、兵器の私的な持ち主ではなくなる。こうして、今日の『国家』では――そしてこの点こそ近代国家概念にとって本質的なことなのだが――行政スタッフ、つまり事務官僚と行政労務者の・物的行政手段からの『分離』が完全に貫かれている。」(p.17)
「生粋の官吏は(略)その本来の職分からいって政治をなすべきではなく、『行政』を――しかも何より非党派的に――なすべきである。」(p.40-1)
「政治指導者の行為は官吏とはまったく別の、それこそ正反対の責任の原則の下に立っている。官吏にとっては、自分の上級官庁が、――自分の意見具申にもかかわらず――自分には間違っていると思われる命令に固執する場合、それを、命令者の責任において誠実かつ正確に――あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように――執行できることが名誉である。このような最高の意味における倫理的規律と自己否定がなければ、全機構が崩壊してしまうであろう。これに反して、政治指導者、したがって国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない。官吏として倫理的にきわめて優れた人間は、政治家に向かない人間、とくに政治的な意味で無責任な人間であり、この政治的無責任という意味では、道徳的に劣った政治家である。こうした人間が(略)指導的地位にいていつまでも跡を絶たないという状態、これが『官僚政治』と呼ばれているものである。」(p.41-2)
「一体どんな資質があれば、彼[職業政治家]はこの権力(個別的に見てそれがどんなに限られた権力であっても)にふさわしい人間に、また権力が自分に課する責任に耐えうる人間になれるのか。ここにいたってわれわれは倫理的問題の領域に足を踏み入れることになる。どんな人間であれば、歴史の歯車に手を掛ける資格があるのかという問題は、たしかに倫理的問題の領域に属している。」(p.77)
「政治家にとっては、情熱(Leidenschaft)――責任感(Verantwortungsgefühl)――判断力(Augenmaß)の三つの資質がとくに重要であるといえよう。ここで情熱とは、事柄に即するという意味での情熱、つまり『事柄』(『仕事』『問題』『対象』『現実』)への情熱的献身、その事柄を司っている神ないしデーモンへの情熱的献身のことである。」(p.77)
「情熱は、それが『仕事』への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力――これは政治家の決定的な心理的資質である――が必要である。すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる、つまり事物と人間に対して距離を置いてみることが必要である。」(p.78)
「政治家は、自分の内部に巣くうごくありふれた、あまりにも人間的な敵を不断に克服していかなければならない。この場合の敵とはごく卑俗な虚栄心のことで、これこそ一切の没主観的な献身と距離――この場合、自分自身に対する距離――にとって不倶戴天の敵である。」(p.79)
「政治家の活動には、不可避的な手段としての権力の追求がつきもの(略)ところがこの権力追求がひたすら『仕事』に仕えるのでなく、本筋から外れて、純個人的な自己陶酔の対象となる時、この職業の神聖な精神に対する冒涜が始まる。政治の領域における大罪は結局のところ、仕事の本筋に即しない態度と、(略)無責任な態度の二種類にしぼられるからである。虚栄心とは、自分というものをできるだけ人目に立つように押し出したいという欲望のことで、これが政治家を最も強く誘惑して、二つの大罪の一方または両方を犯させる。」(pp.79-80)
「およそ政治というものは、それが目指す目標とはまったく別個に、人間生活の倫理的な営みの中でどのような使命を果たすことができるのか。言ってみれば、政治の倫理的故郷はどこにあるのか。」(p.82)
「政治が権力――その背後には暴力が控えている――というきわめて特殊な手段を用いて運営されるという事実は、政治対する倫理的要求にとって、本当にどうでもよいことだろうか。」(p.85)
「倫理的に方向づけられたすべての行為は、根本的に異なった二つの調停し難く対立した準則の下に立ちうるということ、すなわち『心情倫理的』に方向づけられている場合と、『責任倫理的』に方向づけられている場合があるということである。(略)人が心情倫理の準則の下で行為する――宗教的に言えば『キリスト者は正しきをおこない、結果を神に委ねる』――か、それとも、人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする責任倫理の準則に従って行為するかは、底知れぬほど深い対立である。」(p.89)
「サンディカリストは、純粋な心情から発した行為の結果が悪ければ、その責任は行為者にではなく、世間の方に(略)あると考える。責任倫理家はこれに反して、人間の平均的な欠陥のあれこれを計算に入れる。つまり(略)人間の善性と完全性を前提してかかる権利はなく、自分の行為の結果が前もって予見できた以上、その責任を他人に転嫁することはできないと考える。」(p.90)
「この世のどんな倫理といえども(略)『善い』目的を達成するには、まずたいていは、道徳的にいかがわしい手段、少なくとも危険な手段を用いなければならず、悪い副作用の可能性や蓋然性まで覚悟してかからなければならないという事実、を回避するわけにいかない。また、倫理的に善い目的は、どんな時に、どの程度まで、倫理的に危険な手段と副作用を『正当化』できるかも、そこでは証明できない。政治にとって決定的な手段は暴力である。倫理的に見て、この手段と目的との間の緊張関係がどんなに重大な問題を孕んでいるか(略)」(pp.90-1)
「この目的による手段の正当化の問題にいたって、心情倫理も結局は破綻を免れないように思われる。実際、この心情倫理には――論理的につきつめれば――道徳的に危険な手段を用いる一切の行為を拒否するという道しか残されていない。」(p.92)
「心情倫理と責任倫理を妥協させることは不可能である。またかりにわれわれが、目的は手段を神聖化するという原理一般をなんらかの形で認めたとしても、具体的にどのような目的がどのような手段を神聖化できるか、を倫理的に決定することは不可能である。」(pp.92-3)
「人間団体に、正当な暴力行使という特殊な手段が握られているという事実、これが政治に関するすべての倫理問題をまさに特殊なものたらしめた条件なのである。」(p.97)
「およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラドックスと、このパラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時も忘れてはならない。繰り返して言うが、彼はすべての暴力の中に身を潜めている悪魔の力と関係を結ぶのである。」(pp.99-100)
「自分の魂の救済と他人の魂の救済を願う者は、これを政治という方法によって求めはしない。政治には、それとはまったく別の課題、つまり暴力によってのみ解決できるような課題がある。」(p.100)
「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ。」(pp.105-6)
『人間・この劇的なるもの』
著者は、評論家・翻訳家・劇作家の福田恆存。昭和31(1955)年の作品。筆者が読んだのは新潮文庫版。
「なにかの役割を演じること、それが、この現実の人生では許されないのだ。」(p.11)
「私たちの社会生活が複雑になればなるほど、私たちは自分で自分の役を選びとることができない。また、それを最後まで演じきって、去って行くこともできない。私たちの行為は、すべて断片で終わる。(略)未来はただ現在を中断するためにだけやってくるのだ。(略)が、私たちは、現在の中断でしかない未来を欲してはいない。(略)私たちの欲する未来は、現在の完全燃焼であり、それによる現在の消滅であり、さらに、その消滅によって、新しき現在に脱出することである。」(pp.11-2)
「私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているのだという実感だ。(略)生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ。」(p.17)
「私たちが欲しているのは、自己の自由ではない。自己の宿命である。(略)私たちは自己の宿命のうちにあるという自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌さを味わえるのだ。自己が居るべきところに居るという実感、宿命感とはそういうものである。」(p.23)
「すべてを宿命と思いこむことによって、無為の口実を求めることも自己欺瞞なら、すべてが自由であるという仮想のもとに動きながら、つねに宿命の限界内に落ちこみ、なお自由であると思いこむことも、やはり自己欺瞞なのである。」(p.24)
「純粋な意識の真の緊張を呼び起すもの、それが私のいう演戯である。」(p.32)
「私たちの意識は、平面を横ばいする歴史的現実の日常性から、その無際限な平板さから、起きあがろうとして、たえずあがいている。そのための行為が演戯である。」(p.33)
「演戯によって、ひとは日常性を拒絶する。」(p.33)
「意識は過去・現在・未来の全体を眺めわたせる地位にありながら、しかも限られた枠のなかだけしか見ようとしないから、その間の時間の経過を強烈に味わうことができるのだ。」(p.35)
「今日、私たちは、あまりにも全体を鳥瞰しすぎる。いや、全体が見えるという錯覚に甘えすぎている。」(p.35)
「じつは、全部が見とおせてしまったからこそ、私たちは部分になりさがってしまったのだ。(略)知識階級の陥っている不幸の源は、すべてそこにある。」(p.36)
「私たち個人がたんなる部分にすぎないという覚悟を欠くならば、いや、それを欠いているがゆえに、私たちはたんなる部分的断片以上に出ることができないのだ。(略)私たちが個人の全体性を回復する唯一の道は、自分が部分にすぎぬことを覚悟し、意識的に部分としての自己を味わいつくすこと、その味わいの過程において、全体感が象徴的に甦る。よくいわれる自我の確立というのは、そういうことだ。」(p.36)
「個人の全体性、いいかえれば、その必然性を確立するためには、現実の偶然を拒絶しなければならぬと、私はいった。(略)私たちは自分の能力を無視して、あまりにも多くの偶然に身をゆだねすぎる。したがって、私たちの意識は、いつになっても現実の平面から直立しえない。」(p.37)
「ひとつの必然を生きようという烈しい意思」「演戯とは現実の拒否と自我の確立のための運動である」(p.38)
「いかなる個人も、もしその生涯を必然化しようとするならば、べつのことばでいえば、完全に自由であろうとするならば、自分の死を必然化しなければならぬのである。人間にとって唯一の不可能事である。」(pp.66-7)
「人間のおこなうすべての行為についていいうることだが、それが真に必然であるためには、その事前において、すべてを偶然にまかせなければいけないのだ。偶然のなかに自分を突き放すこと、のみならず、できうるかぎり必然を避けること、そうしなければ、私たちは自分の宿命に達しえない。」(p.68)
「必然を求めるものにとって、もっとも誘惑的なのは、仮装の必然性である。」(p.68)
「人格が完全な自律体であるのは、全体との関聯をみずから調整しうるということにすぎない。それは部分でありながら、全体を意識し、全体を反映し、自ら意思して全体の部分になりうるということなのだ。真の意味における自由とは、全体のなかにあって、適切な位置を占める能力のことである。全体を否定する個性に自由はない。すでに在る全体を否定し、これを自分につごうのいいように組織しなおすことは、部分たる個人のよくなしうることではない。」(pp.97-8)
「全体の本質はつねに未知のものとして、私たちの上に蔽いかぶさっていなければならぬ。」(p.118)
「かれ[ソクラテス]は全体というものを知りえぬことを知っていたのであり、無智という段階にとどまっていなければ、全体をつかみえぬことを知っていたのである。」(p.119)
「心貧しきものこそ、さいわいだといったイエスのことばは、(略)論理的にいえば、知識は部分にしか関与せず、部分的な知識をいくら重ねても全体にはならぬということであり、それは、部分と全体との次元の相違を指摘しているのである。ついに全体を認識しえぬ以上、十の知識も千の知識も同断だと、イエスはそういっているのであり、その差に優越感をいだいていたパリサイ人を笑ったのである。」(p.141)
「個人が自分ひとりの手で、自分の気に入るように全体を調整しようという思いあがりであり、その意思につきあってくれぬ全体とは絶縁するということであり、さらに、その絶縁によって、部分にすぎぬ自己を全体と錯覚し、その全体の名において、社会的な秩序を失った世間の生活者を批判しようということである。(略)多くの知識階級の落ちこみやすい陥穽がここにある。」(pp.142-3)
「私たちは、認識において、現実の資料をすべて知りつくすことができないと同様に、行動においても、生涯、一貫した必然性を保持することはできない。一生を整え、それに必然の理由づけを附することは、ついに個人の仕事ではありえないのだ。個人は全体を自己に奉仕せしめることはできず、自己を全体に奉仕せしめなければならない。必然性というものは、個人の側にはなく、つねに全体の側にある。個人の脱落は敗北は、全体の必然性を証明するためにのみ正当化される。」(p.143)
「必然とは部分が全体につながっているということであり、偶然とは部分が全体から脱落したことである。とすれば、個人がみずからの配慮で自己の行為に必然性を附与しようとするストイシズムは、個人の能力を超えた緊張を必要とするであろうし、そして、その緊張には、私たちは長くは堪えられず、(略)最後には、かならずその努力を抛棄してしまうであろう。型にしたがった行動は、私たちをそういう緊張から解放してくれ、行動をそれ自体として純粋に味わいうるようにしむけてくれる。そのときにおいてのみ、私たちは、すべてがとめどない因果のなかに埋もれた日常生活の、抹消的な部分品としての存在から脱却し、それ自身において完全な、生命そのものの根源につながることができるのだ。」(pp.154-5)
「私たちは生それ自体のなかで生を味わうことはできない。死を背景として、はじめて生を味わうことができる。死と生との全体的な構造のうえに立って、はじめて生命の充実感と、その秘密に参与することができるのだ。」(p.156)